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かんがへ
町奉行方では、跡部山城守の考で、平八郎の叔父に当る東組の与力大
西与五郎を使ひ、平八郎に詰腹を切らせやうと試みたが、時已に遅く、
最早や一同繰出す所で、近寄る事もならねば、役所へは帰らず、後難を
に
怖れて遁げ出して仕舞ふ。捕手を向けたが、是も衆寡の勢、手出しもな
らぬとて引返す、鉄砲奉行に頼んで、鉄砲同心の力を借り、打払はうと
謀つたが、人数が少くて、安心なり難く、到頭定番遠藤但馬守胤統へ加
勢を頼み入れた。但馬守、之を諾し、それより玉造口与力阪本鉉之助、
本多為助、蒲生熊次郎の三人に、同心三十人引連れ、跡部山城守役宅へ
たつし
早速詰める様に、との定番の達示が来た。命の如く、右の与力三人は、
十匁筒、同心は三匁五分筒を持つて、早足に東町奉行の役宅に往くと、
あまた
此処は又非常の慌て方、屋敷内に甲冑着用の者が数多見え、抜身の得物
等が押立てゝある。玄関より通つて、山城守に目通りすると、山城守も
よ
具足着用、冑を高紐に掛け、床几に凭つて固くなつて居たが、一同を見
はず かたじけな
るや、床几を外して叮嚀に会釈し、早速の加勢 辱 いと述べ、尚ほ是非
よんどころ
大筒御持参願ひ度いとの事だ。市街戦に大筒を如何するかと思へど、拠
なく、百目筒を取りに熊次郎を走らせる。山城守が、自身庭へ下り立つ
つ
て、固めの場所を案内するから跟いて往つて、見渡すに、高みだから、
はるか さかん
遥に天満の方迄眼の下だが、方々に黒烟盛に立上り、其中に大筒の連発
が地響して聞えて来る。是は容易ならぬと見て、山城守に、早速御出馬
をといつたが、聴入れぬ、鉉之助、為助両人、思ふ様、去年甲州一揆の
時には、勤番が城中に引籠り、オメ/\暴徒に城下を焼払はせたので、
皆が嘲り散らした手前もあるに、今同じ場合に臨んで、甲府の轍を踏む
あまり
様では、余に腑甲斐ないとて、又も山城守に出馬を迫つたが、如何して
も応ぜぬ、何故か元気もなく、如何にも臆した様子だから、そこで一策
おやしろ
を案じて、又言ふ様、最早や東照宮(川崎)の御社が危く見えます、平
常の神体御遷座の時でさへ、御奉行衆の御持前であるのに、斯かる大変
に御出場無く、御焼失を御見物になつては、乍憚御家にも拘りませう
やうや
といつたら、此一語で山城守もギヨツとした有様、漸う気を取直し、然
らば出馬致さうとの事になつた。
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阪本鉉之助
坂本鉉之助
徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その61
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