Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.10.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その11

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

二、暴の前の大御所政治 (4) 管理人註
   

而して是等の異船の本国なる欧州大陸の形勢はといふと、千七百九十年                  だいなおう 代の仏国大革命頃から、千八百十五年大拿翁の敗滅に至る頃迄は、最も 雑乱紛糾、一国の存亡を賭けて列強相抗争して居たといふ事情が有つた                      しべりあ ので、其間に我国に来るといつても、実は僅に西比利亜からする露船や、 印度から出て仏領を荒し、蘭船を追ひ廻して来た一英船に過ぎぬ位のも        さうが ので、未だ大に爪牙を極東に試みるに至らず、大拿翁失脚後と雖も、神 聖同盟を結んで革命思想に暴圧を加ふる等の大陸政策に忙殺されて其力            うち         ば る かん は遠く伸びず、兎角する中に、続いて巴爾幹問題の葛藤が起り、土、墺 の同盟軍は露、英、仏の聯合軍と対峙し、兵結んで解けざるもの連年、 漸く一八二九年のアドリアノープル条約で局を収めたが、其結果神聖同                              ぽうらんど 盟は瓦解して、英国はイベリア半島の動乱に没頭すれば、露国は波蘭及  はんがりー             わづら び匈牙利等の独立運動に累はされる。北、中、南の三米も、亦同時に内                  ほうよく 乱の多忙を極めたと云ふ始末で、到底鵬翼を極東に張ると云ふ十分の余 裕を持たなかつたのである。けれども寸前闇黒、世界の大勢の見渡しな               しば/\ どの着かぬ当時の事とて、海警も屡次すれば刺戟に慣れ、神経も鈍磨し                   たまた         しんすゐ て来る。況んや其海警も途絶えて来る、偶ま見えても一漁船が薪水を乞                                 ふ位に過ぎぬと、魔軍も何時しか魔軍とは見えず、平凡な人間の姿に化 つて現れ来れば、遂には内輪同士の団欒の座に無作法な押掛け客、それ を許しては神国の体面に拘はる。祖法に背く、一つ威嚇して追払へとい  けうがう        たまた ふ驕傲な感情が高まる。偶ま蘭癖家や、長崎在留の蘭人から其然らざる                   おにむかしばなし 所以を説明しても、何となく小供嚇しの鬼昔譚の如くに感じて来る。遂                          げん に文政八年(千八百二十五年)に天文方高橋作左衛門の言に聴いて断然           異船打払令を天下に布いたのであつたが、暫く好都合にそれ以来異船の    出没熄み、弘化、嘉永に移る迄約二十年に近く殆ど其影を見なかつたか ら、作左衛門に先見の明を誇らせ、異人は恩を示せば却て附け上つて甘         へるけれども、威さへ示せば何でも無いと侮るに至つた。





大拿翁
(ナポレオン)









土、墺
土耳古
(トルコ)
墺太利
(オーストリア)

アドリアノープル
トルコ北西部の都市
エディルネの旧称


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