Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.10.26

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その12

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

二、暴の前の大御所政治 (5) 管理人註
   

 いづ  何くんぞ知らん、此間に世界の乱緒は次第に整理に就き、仏国もルイ、 ナポレオンが二月革命後に全国を統一し、遂に帝政を布いて自ら皇帝と            め き し こ 称するに至れば、米国も墨西哥戦争を終る等、世界が漸く小康を得るに                       はくぜい  さうが        ま 至りつゝあつたので、それと同時に東洋に試みる搏噬の爪牙は次第に磨 れひ           まし 礪されつゝある訳もあり、況て貿易風に頓着無く、如何なる狂瀾怒濤を も乗切る蒸汽船が発明されたり、希望峰の迂回を止めて、スエズ運河を                            らくき 一路直来し得る新航路が開かれたり、米国を東西に遮断する落機山脈を 切り開いて、鉄道を通ずるに至るが如き新気運も、日に月に熟しつゝあ                          そ  ぼうへう つたのである。即ち其間に於ける東洋の小寂静は正に夫の暴襲来前の          ねむ 美しき夕凪と一般、睡れる大御所政治の泰平の我官民は、唯其一時の美            みやうにち しさに眩惑されて、尚ほ明日の好晴を予期して居たが、何くんぞ知らん、            たんしや    やが 其毒々しく半天に燃ゆる丹赭の雲には軅て来るべき一大暴の予兆を潜 めて居たことを。而かも此予兆を観取することの出来ぬ彼等は、暴の 前に舞踏の痴態を演じつゝも、自ら其危険を知らないで居たのであつた。 斯かる空気が尊号事件を産み出して、而して賢相の聞え高き松平定信を も長く其職に留むる訳に往かなかつたのであつた。





搏噬
つかみ捕らえ
て食らうこと








落機山脈
ロッキー山脈




渦を巻いて
吹く強い風


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