Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.10.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その13

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

二、暴の前の大御所政治 (6) 管理人註
   

                             彼は八代吉宗将軍以来の美績良法を殆ど残りなく破壊した夫の田沼意 次の弊政の後を承けて老中に任じ、質素倹約を以て自ら率ゐ、文武廉節                     せうひつたゞかず を以て衆を励げまし、規画怠らず、本多弾正少弼忠籌や、加納遠江守久 周を挙用する等、其他彼の登庸する人物には才幹多く、田沼等に党附し     ほしひまゝ て威幅を檀にした群れは、多く斥けられて仕舞つたのだ。上の好む所、 下それより甚しといふが如く、田沼等の極盛の時には、士民の遊惰は譬              はうじう ふるに物なく、諸番士などの放縦さは、宿直帰りに直には自宅に帰らず、 槍や挟箱をば束ねて手拭に絞り、供に持たせて先に戻らせ、自分等同志                     はばた        は籠を離れた小鳥でもあるかの様に勝手に羽敲きをして北郭に湿け込む、 途中同役に逢つても包み隠すことなく、今日は誰の処へ行くなどと、平   のろ          れんち         さむらひ 気で惚けて話し合つた。節義廉恥などのあらばこそ、士は時代の思想、 風俗の中心だなどいふ殊勝に考は点で頭に持合はさず、従つて平生の趣 味も市井の徒の見様見真似に堕落し行き、歌舞伎、狂言師、芸者女を自 宅に招いて迄杯酌の相手にすれば、男女間の猥りがはしき振舞は、実に     ことば 言ふべき語もなかつたといふが、此種類な自堕落な淫靡な天明初期の風       たくれい 俗は、定信の歯濫ュの厳正なる号令に由つて、一時粛然として旧態を 改めたのであつた。而して是と相待つて、一面には、彼は永い間の蘭学 の禁をも解いた。茲に彼の深慮を悟るべきでないか、如何せん良薬は口     たうげん      い                      に苦く、言は俗に忌まる。一橋一門並に大奥の憎悪は定信の一身に蝟 しふ 集して、高明の室は遂に鬼神の窺ふ所となり、其尊号事件の年五月廿八 日といふに、表面には願に依るとあつて、其実余儀なく、将軍の輔佐を 免ぜられて仕舞つた。時事知るべし。





廉節
潔白な節操













北郭
江戸の新吉原
遊郭のこと



廉恥
心が清らかで、
恥を知る心が
強いこと






歯濫ュ
才気にすぐれ、
弁舌が鋭いこ
と



蝟集
たくさんの物
事が一か所に
一時に寄り集
まること
 


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その12/その14

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