Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.10.30

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その16

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

三、忠成時代の悪政と豪奢 (3) 管理人註
   

 而かも此硬骨漢も遂に文政十四年を以て卒し、而して巧言令色は父に  まさ も優り、且つ才幹の衆に超えた其子忠成が其年を以て老中と為り、文政                      二年には勝手掛青木忠裕、堀田正敦の二人を罷めて忠成が之に代つたか ら、幕府の政権財権は一に挙げて忠成の手に在り、是より虎の如き彼の                              勢力には、更に翼を添ふる勢を示し、貨幣改鋳等の悪政頻々相踵ぎ、姑 息の計を以て大奥一時の窮乏を救ふたが為に、其の寵遇は幕閣を傾け、 加増、昇格、拝領物等幾度といふ数を知らぬ。彼は老猾佞邪の忠成の養               かうけい 子であつたのみならず、天性の巧慧は将軍の意を迎へて、其鐘愛は尋常 でなく、暗中に飛翔してトン/\拍子の栄進を為した。すると賢才能吏       さうらい  くら                 しきやう  ばつこ は次第に跡を草莱に晦ますから世は暗黒を加へ行くばかり、鴟梟の跋扈                              いづ には益々都合好くなる。青山忠裕の如き、事無かれ主義の、先づ孰れか といへば平凡であつたけれども、心様は正直律儀で、非を是、邪を正と                 かうおう          とな 言ひ抂げる事などは出来ない人、現に穆翁西ノ丸移り、大御所様称への                                もた 相談は、楽翁真先に之を斥けて頓挫し、続いて信明の時にも是が頭を抬 げた事は前述の如く、而して信明も亦果して失敗したが、此相談は其後 又此忠裕の所へも持運ばれた。けれども彼は亦矯々焉として屈する所な く、飽迄定信、信明の説を当れりとし、且つ紀州から入つて将軍職を襲          こうご いだ吉宗の生父は、薨後にすらも贈官が無かつた。之を法とすべきだと      はゞ 論じて遂に阻み了つたのであつた。然るに此正直者も、今は居らなくな                    おほこぶ つたから、一橋並に大奥に於ては眼の上の大瘤が次第に取れた訳。とい つて西ノ丸入りは流石にまだ行はれなかつたから、大願成就とは言ひ得 ぬとも、文政八年に一意上意を遵奉する忠成等の心配に依り、多年の宿 望を殆ど遂げて准大臣の宣下があり、是より儀同様と称へて網代輿に乗 るを許され、一切の儀式凡て将軍に擬ふに至つた。
















巧慧
頭の回転が速
く鋭いこと


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その15/その17

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