而かも此硬骨漢も遂に文政十四年を以て卒し、而して巧言令色は父に
まさ
も優り、且つ才幹の衆に超えた其子忠成が其年を以て老中と為り、文政
や
二年には勝手掛青木忠裕、堀田正敦の二人を罷めて忠成が之に代つたか
ら、幕府の政権財権は一に挙げて忠成の手に在り、是より虎の如き彼の
つ
勢力には、更に翼を添ふる勢を示し、貨幣改鋳等の悪政頻々相踵ぎ、姑
息の計を以て大奥一時の窮乏を救ふたが為に、其の寵遇は幕閣を傾け、
加増、昇格、拝領物等幾度といふ数を知らぬ。彼は老猾佞邪の忠成の養
かうけい
子であつたのみならず、天性の巧慧は将軍の意を迎へて、其鐘愛は尋常
でなく、暗中に飛翔してトン/\拍子の栄進を為した。すると賢才能吏
さうらい くら しきやう ばつこ
は次第に跡を草莱に晦ますから世は暗黒を加へ行くばかり、鴟梟の跋扈
いづ
には益々都合好くなる。青山忠裕の如き、事無かれ主義の、先づ孰れか
といへば平凡であつたけれども、心様は正直律儀で、非を是、邪を正と
ま かうおう とな
言ひ抂げる事などは出来ない人、現に穆翁西ノ丸移り、大御所様称への
もた
相談は、楽翁真先に之を斥けて頓挫し、続いて信明の時にも是が頭を抬
げた事は前述の如く、而して信明も亦果して失敗したが、此相談は其後
又此忠裕の所へも持運ばれた。けれども彼は亦矯々焉として屈する所な
く、飽迄定信、信明の説を当れりとし、且つ紀州から入つて将軍職を襲
こうご
いだ吉宗の生父は、薨後にすらも贈官が無かつた。之を法とすべきだと
はゞ
論じて遂に阻み了つたのであつた。然るに此正直者も、今は居らなくな
おほこぶ
つたから、一橋並に大奥に於ては眼の上の大瘤が次第に取れた訳。とい
つて西ノ丸入りは流石にまだ行はれなかつたから、大願成就とは言ひ得
ぬとも、文政八年に一意上意を遵奉する忠成等の心配に依り、多年の宿
望を殆ど遂げて准大臣の宣下があり、是より儀同様と称へて網代輿に乗
るを許され、一切の儀式凡て将軍に擬ふに至つた。
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