Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.10.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その2

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

序 (2) 管理人註
   

遂に檄を馳せて徒を集め、火を闔市に放つて、至る所富家豪戸を破壊し、 倉廩を発いて、之を飢民の奪ひ去るに委しぬ。事や固より暴也と雖も、 其中情憫諒すべきもの有り、彼や陽明の学を奉じ、知行合一を以て自に 規すと雖も、而かも其思想に駆られて、静察熟慮の後に決行したる者と 想はゞ誤る。彼をして此に至らしめたるものは、一に大阪の悪政に在り き、衰へたりと雖も、幕威は儼存して当時猶ほ泰山の如し、彼にして狂 せずんば、豈敢て之を転覆して湯武の鴻業を成就せんと企つるものなら んや、彼は唯勢に駆られて、俗吏と富豪とに復讐し、轍鮒に与ふるに、 一掬水を以て甘んぜんとしたるに止まる、然らば是れ宛も溺れたる者に 手を仮して、自ら亦溺れ死したる者に非ずして何ぞや、彼や時の為政者 の為に焚余の醜骸を梟木に懸けられ、大逆無道として暫く凶名を伝へら れたりと雖も、而かも泰平遊惰の夢は是が為に一覚せられ、雷雨の一過 の如く、朝に起りて夕に倒れたりと雖も、天下は是が為に寒胆しぬ。而 かも幕府は家康の遺徳猶ほ存せしが如く、松平越前守起つて政柄を握る に及び、倹素俗を率ゐて揮の巨腕称す可き者あり、志遂げずして中道 に去りしを憾むと雖も、其積弊を刷新し、時艱を匡救したるの偉績は没 すべからず、而して是には自ら平八郎の大阪乱の興つて大に力有りしを 疑はずとせば、彼も亦聊か以て地下に其懐を寛うすべき哉、而して幕府 の余命は刻々に縮まり、爾来僅に三十年にして内憂外患の頻出に遭ひ、 遂に大政を奉還して、茲に皇政復古の新天地を現じ、久しく専制政治の 桎梏に苦み来れる我国民が、忽ち自由平等の大気中に遊泳し得たるを見 ては、彼の志は大に酬いられたりと謂ふべく、従つて三十年前に一び与 へられたる其兇名は残りなく洗雪せられて、弱者を救ふ固有の義侠心の 為に其犠牲たりしに外ならずとの真相を伝へらるるに至つては、彼は又 快然首肯して、初めて瞑目し得べしと信ず、而して我輩も亦、毀誉の時 と共に変ずるの玄旨に想到して、茲に無量の感慨なくんば有らざる也。 本著は此の大阪乱の真因を闡明して、平八郎の人物及び思想を現はすに、 其背景たる当時の弊政と頽俗との精描を以てし、行文の間に厳正なる春 秋の遺意を加へたるもの、事に政局に当る者、又以て自ら規箴するに足 る者あらん、肯て書して与へて序と為す。                    侯爵 大隈重信



(こう)
とびら

(あば)いて
(まか)し

憫諒(びんりょう)
あわれみ思い
やること

儼存(げんそん)








梟木(きょうぼく)
さらし首をか
ける木、獄門台




(きかく)
(うら)む

時艱(じかん)
その時代の当面
している難問題

匡救(きょうきゅう)
悪を正し危険な
どから救うこと

(たゆた)う










玄旨(げんし)
物事の奥深い
内容

想到(そうとう)
考えた結果そ
の事に行き着
くこと

闡明(せんめい)
明瞭でなかった
道理や意義を明
らかにすること

規箴(きしん)
いましめ

(あえ)て
 


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