Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.10.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その3

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

自 序 (1) 管理人註
   

 君子は嗟来の食を受けぬといふ。嗟来とは「こら来て食へ」と云ふの で、是でも所謂温情主義ではあるが、礼を以てする者じや無い。同じ与 へられた食物でも、足の爪先で突き附けられるのと、目八分に恭しく持 出されるのとでは、咽喉ざはりが違ふ。権利に目覚めた今時の人間に、 何時迄も磋来の食を受けさせ様とするのは無理だ。然るに今猶ほ此種の 温情主義の水のみで、資本対労働問題の火の手が鎮まり相に考へる人々 もある。而かも是を以て我国粋の様に仰つしやる。斯ういふ人々に御目 に掛けたいのは、次の英人イー、エッチ、ジヨーンス氏の論文クライム ス、アンド、インダストリアリズムの中の一節である。曰く "The former unity of interest and personal sympathy between master and man seem to have disappeared and left no heritage. It is customary to contrast the old-time peace,when mastar and man ied at the same board, with the bitter conflict of to-day." と、是で悟りが開いて貰ひたい。日本だ西洋だとて、何も資本階級対 労働階級の関係の歴史的発達に、際立つた相違の有る訳でなく、皆一                 くゞ 度は温情主義の過去を有し、それを潜つて既に権利主義に移り、若し くは、今将に移らんとしつゝ有る迄である。私は之に就いて是非を言 はぬ。けれども唯事実を有の儘に語る自由を有する。而して最早単純 な温情主義のみではいけまいと杞憂する迄である。幾を知るそれ神乎 といふ。幾を知るといふ事は六かしい事であらう。けれどもそれを知    う つ か り らずに迂闊焉歩いて居ると、何時しか噴火山上に登り詰めて、我立つ 脚の下から轟然一発大噴烟が起らぬとも限らぬ。歴史を眺めて見ると、                     くび 何時の世にも時の為政者が「まだ/\」と見縊つて進む処に飛んでも                      しくじ 無い一大事件が突発して居る。「まだ/\」で失敗る。此「まだ/\ さへ」無かつたなら、局面はスル/\と訳もなく転回したで有らうと 想はれる処に、驚風駭浪を捲起して生民を塗炭の苦に陥れる場合が多 く有る様に想ふ。


嗟来の食
(さらいのし)
無礼な態度で
与える食べ物

















































驚風(きょうふう)
にわかに吹く風

駭浪(がいろう)
湧き立ち荒れ
て恐ろしい波


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その2/その4

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