Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.11.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その20

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

三、忠成時代の悪政と豪奢 (7) 管理人註
   

 是は後に水野越前守忠邦が老中となつて宿弊一掃を心掛け、天保九年                        いよい に幾回も布令を出した、それと表裏照合せて見ると愈よ明瞭になる、即                              をごり ち九年閏四月六日「近来質素節倹の儀に付、外見をのみ心掛け、奢ケ間 やから                   おのづ 敷族も有之哉に相聞候、右の風儀に有之候得ば、自から勝手向不如意に 相成候間、勤向並武備等の心掛不仕様に可相成哉、常に倹素之儀不 心掛候て、不如意之儀のみ相歎き候は、一己の不覚悟にて候、享保中               かしう仰出候通、衣食は勿論、嫁娶の儀式、饗応普請、其外諸道具供廻 之儀迄も堅相守り、専ら倹素相用候て、下々風儀の手本たるべき様弥々 厚く可心掛候」を手初めに、其十日には「享保十六年、天明七年節倹 之儀、條々相触候処、近年致忘却衣食住共奢侈相募り、又は供連等を               やから も外見を繕ひ、自然及困窮候族も有之哉に相聞候云々」と令し                  かうがい            た ば て士人を戒め、更に其廿三日には「櫛笄、カンザシ、キセル、又は多葉                 もてあそび 粉入、紙入、カナモノ、其外無益なる翫之品々金銀用候儀停止之旨前々              みだり 相触候趣も有之候処、近年猥に金銀等相用、並に売買いたし候者も有 之由相聞、如何之事に候、以来百姓町人、右体之品々金銀器類一切持申 間敷候云々」。  五月五日には「近年町方並在方にて菓子類料理等無益々手数を掛け結 構に致候者有之由、風俗奢侈に相成不宜云々」とある、それから十二 年十一月二十七日の布令には、「近来百姓共奢侈に長じ、衣服飲食共身 分不相応に相成、遠在迄も平日油焼、蝋燭、雪駄を用ひ少しも手廻候者 は家作結構にしつらひ、都て農業に怠り、余業に走り、農家に不似合 遊芸等いたし候ものも有之由に付云々」又十三年四月八日には「野菜 もの等季節いたらざる内売買致す間敷旨前々相触候趣も有之候処、近     このみ            せりあひ 来初物を好候儀増長いたし、殊更料理茶屋等にては競合買求、高直之品             たとへ 調理致候段不埒之事に候、譬ばキウリ、茄子、ヰンゲン、ササゲの類、                   ごみ 其外モヤシモノと唱へ、雨障子を懸け、芥にて仕立、或は室之内へ炭団   もちひ 火を用、養ひ立、年中時候外れに売出し候段、奢侈を導く基にて、売出 し候もの共も不埒之至に候間、以来モヤシ初モノと唱候野菜類決て作出                     しくしう し申間敷旨在方にも相触候條云々」とある。宿習は容易に改め難きもの、                    こうまう 水野忠成によつて導かれた弊風の、病深く膏盲に入つて居る事が知れや う。

宿習
前世からの
習慣や習性





『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その19/その21

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