Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.11.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その21

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

三、忠成時代の悪政と豪奢 (8) 管理人註
   

 こと                          やから  特に其「勝手向不如意に相成候間」とか、「自然及困窮候族も有 之」とかいふ文字に注目されたい。一定の禄米に衣食するものが、奢侈 に走れば直に財政不如意になるべき道理だ。泣く子も鍋の縁を見て泣く といふ諺は、入るを計りて出づるを制する経済の原則を物語るものだが、 入るを計らず勝手に費す、泣く子は鍋の中無一物でも頓着なく、猶も食 たいとせがむに至つては、其結果は如何なるか知れた事だ、私謁請託賄 賂といふ類が公行されるは定まつて居る。更に「都て農業に怠り、余業 に走り、農家に不似合遊芸等いたし」の文字に注目されたい。奢侈遊                            かつ 惰の風が次第に下々迄も泌み込んで、生産者が生産せず、肥桶担ぎの野                             良歌を止めて、畳の上に坐り込み、浄瑠璃、新内に首を乙に掉り暮すと           たなそこ        はんてん   そろばん か、鍬いぢりに痛めた掌の荒れを嫌つて、袢纏前掛算盤いぢりがして見 たいとて番頭奉公を志すといふ風では其結果は如何なるか、之を生ずる             おほ   つね 者寡くして、之を食ふもの衆くば財の恒に足らぬは分り切つた話、特に 只今と違つて鎖国時代の事である、物資を交換して有無を相通ずる市場 といふ者は日本一国内に限られて居るから、物資が少いとて支那だ、印 度だ、濠洲だといふ様な所から、其不足分を輸入するといふ様な軽妙な 仕事が出来ぬ。すれば一目瞭然、物価は日々に釣上つて、生活は日々に               圧迫され困難の状態に陥るに定まつて居るのだ。彼の義賊と称せられ、         かうねん 今尚ほ回向院裏に香烟縷々として絶えざる鼠小僧、即ち巨盗次郎太夫が 磔柱に掛けられたのは何時頃と思ふか、実に天保三年八月十九日の事で ないか。次郎太夫は一個の盗賊に過ぎぬ。別に何等経国済民の大志ある にも非ず、従つて強奪し得た所は尽く窮民の賑恤に充てた訳でも無く、 我身の享楽の遣ひ余しを窮民に廻したといふに過ぎぬのだが、此裾分で さへ露命を一日なりとも先に繋ぎたいと望む当時の民心に、如何に迎へ られ、如何に喜ばれたか知れぬ。それが彼をして暫く跳梁の志を為さし   あまつさ め、剰へ義といふ名をさへ冠せられる冥加を得しめた所以である。斯か         そうがふ           あた る事情を前後静に湊合して見ると実に節々思ひ中る事のみ多い。

湊合
一つに集ま
ること

 


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その20/その22

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