こと やから
特に其「勝手向不如意に相成候間」とか、「自然及困窮候族も有
之」とかいふ文字に注目されたい。一定の禄米に衣食するものが、奢侈
に走れば直に財政不如意になるべき道理だ。泣く子も鍋の縁を見て泣く
といふ諺は、入るを計りて出づるを制する経済の原則を物語るものだが、
入るを計らず勝手に費す、泣く子は鍋の中無一物でも頓着なく、猶も食
たいとせがむに至つては、其結果は如何なるか知れた事だ、私謁請託賄
賂といふ類が公行されるは定まつて居る。更に「都て農業に怠り、余業
に走り、農家に不似合遊芸等いたし」の文字に注目されたい。奢侈遊
し かつ
惰の風が次第に下々迄も泌み込んで、生産者が生産せず、肥桶担ぎの野
ふ
良歌を止めて、畳の上に坐り込み、浄瑠璃、新内に首を乙に掉り暮すと
たなそこ はんてん そろばん
か、鍬いぢりに痛めた掌の荒れを嫌つて、袢纏前掛算盤いぢりがして見
たいとて番頭奉公を志すといふ風では其結果は如何なるか、之を生ずる
おほ つね
者寡くして、之を食ふもの衆くば財の恒に足らぬは分り切つた話、特に
只今と違つて鎖国時代の事である、物資を交換して有無を相通ずる市場
といふ者は日本一国内に限られて居るから、物資が少いとて支那だ、印
度だ、濠洲だといふ様な所から、其不足分を輸入するといふ様な軽妙な
仕事が出来ぬ。すれば一目瞭然、物価は日々に釣上つて、生活は日々に
き
圧迫され困難の状態に陥るに定まつて居るのだ。彼の義賊と称せられ、
かうねん
今尚ほ回向院裏に香烟縷々として絶えざる鼠小僧、即ち巨盗次郎太夫が
磔柱に掛けられたのは何時頃と思ふか、実に天保三年八月十九日の事で
ないか。次郎太夫は一個の盗賊に過ぎぬ。別に何等経国済民の大志ある
にも非ず、従つて強奪し得た所は尽く窮民の賑恤に充てた訳でも無く、
我身の享楽の遣ひ余しを窮民に廻したといふに過ぎぬのだが、此裾分で
さへ露命を一日なりとも先に繋ぎたいと望む当時の民心に、如何に迎へ
られ、如何に喜ばれたか知れぬ。それが彼をして暫く跳梁の志を為さし
あまつさ
め、剰へ義といふ名をさへ冠せられる冥加を得しめた所以である。斯か
そうがふ あた
る事情を前後静に湊合して見ると実に節々思ひ中る事のみ多い。
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