Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.11.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その32

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

四、悪貨幣の濫造 (11) 管理人註
   

 更に今一つ蛇足でも有らうが。以上の矢部や岡本の説の十分的確なる 事を立証する為に、茲に守貞遺稿に現れた著書喜多川季荘の意見をも併 録しやう、此喜多川季荘は商人の学才ある人で、文化七年に大阪に生れ、 大塩乱後天保十一年に江戸の深川に移住し、矢張り商を以て終つた人で あるから、当時の経済事情を知るに頗る好適の材料と思ふ。此著者の曰                       ゑつぎ ふ、「寛永の銭は永銭に劣らぬ上品銭也、寛文の鋳次銭も同上品也、近 来の銭は寛永の鋳次の名のみにて、銭品甚だ賤く、遂に鉄を以て寛永の 鋳次と称するに至れども争動にも及ばず、民間皆交用之こと昇平の徳 といふべきなれども、其実は民心誠実薄くなり、銅も一文にて品の貴賤 は云はず、何れにても一文は一文と云ふより争動もなき也、然れども銭                             たかね を初め金銀幣に至り、総て古制より劣るが故に、諸物の価自ら高直にな ること、其実は高直に似て高直に非ず、幣数幣位の称へのみにて、今の   びた           まさ 銭を鐚に比すれば劣るも勝るべからず、仮令鐚と近制の銭と同位とする                   きんせん とも、寛永の銭を永楽に比すれば、大略今銭の四五文に当るべし、然ら        いにしへ ば今の四五文は古の一銭「一文に当るか」と。然らば当時の物価騰貴の 真因の大部分悪貨幣濫造に在るといふ事は、民間の識者には最も早く気 附かれて居た事が知れる。

守貞謾稿
(守貞漫稿)


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