しば/\
此著者は更に金銀改鋳を屡次当局者に建言したといふ銀座の後藤三右
衛門に迄筆を及ぼして下の如く言つて居る。「愚按ズルニ近世文政以来
しば/\ もと あきうど
如此改制の屡あるに、銀座人後藤三右衛門は原信州の元結賈也、謀て後
藤の嗣となり、此時後藤家困究也、当時三右衛門性奸智あり、賄賂を以
て権家に合ひ、自家を利せんが為に金幣改造を謂ひ行ふ事屡也、当百銭
つかさどる ならふ
(天保通宝)も同人掌之、遂に巨万の富をなす。銀座又倣之て改造を
もつぱら しも かみ こ
専とす、並に下より上に謂ひ行ふ所也云々」と、是は前に述べた松平信
明が「必ず其間に私曲を含み来る」と思ひ、屡次金銀座から建議があつ
たけれども、応じなかつたといふ事実に応じて居る。而して茲に「賄賂」
けんか なんびと
を以て権家に合ひ」とある此「権家」とは何人を指すか、言ふ迄もなく
ばら
勝手掛とあつた水野忠成を筆頭として、それ以下の役人原を指したもの
こゝ
であらう。是に至れば忠成の奸曲が表裏両面より極めて明快に見透かさ
れ、而して信明の大に怖れた所以の者が甚だ根底有り、道理ある事と考
へ合はされる。平八郎は経済学者ではあるまいけれども、此の如き悪政
ふん
の下、悪俗の間に呻吟する一般人民の苦悶が如何に濃密なる一種の氛囲
めぐ
気を醸して彼の身辺を繞り、彼の感受性に富む頭脳に作用して、其一生
の行動を規制したかを忘れてはならぬ。
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