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けいちよく
是は駿州の人物の勁直を物語ると同時に、又当時の吏風を証するに足
るべく、前に述べた天保七年十二月の大目付への達示には、又斯かる風
かいしよく
儀に対する戒飭の数項を含んで居た。即ち「一、諸向勤方申合等之儀、
前々より相達候通、重き御役人は勿論、末々に至迄、勤方厳重に心懸、
新役被仰付候砌、其御役筋伝達候儀は其通りたるべく候得共、場所に
より新古之差別附候事甚敷も有之哉に相聞え候、同役被仰付候者を
自己に差別を附候事は有間敷事に候、且又御役筋伝達候に都て古役之面々
いんしん しゆつかい
より事六ケ敷申成、伝達相願候者に過分之音信振舞等為致、出会も手
重に成行、弁当其外諸道具に至る迄形を出し、其通に無之て不相成
様致し懸候儀も間々有之由、向に寄候ては御城部屋へ食物酒等持参、
仲間振舞候由、右体之儀は決して有之間敷事に候。一、組支配有之
面々は、別して其身を慎、組支配之勤向をはげまし候儀、専要可有
之処、兎角申合不行届、参会之節御役柄に不似合遊興音曲等を催
し、酒宴に長じ、不行儀之輩も有之哉に相聞候、向後右体猥りケ間敷
出会等は堅く相慎可申候。一、古役之者申聞候儀は、如何と存候事を
も、挨拶柄に拘り、無拠相用候儀も可有之候得共、古役之者は猶更
万事慎、勤方申合等入念、宜敷筋を新役之者へ為見習候様、精々心を
なほさり
用ひ可申之処、却て勤場古く相成候得ば、諸事怠り、勤向等閑にして
さ う
新役之者にのみ骨折らせ候向も有之哉に聞え、左様は有之間敷事に候。」
とあるのがそれだが、此風は独り江戸のみに行はれた宿弊でなく、幕府
によつて支配された大阪、京都、奈良、伏見、其他何処とて変りの有ら
いな るし
う筈もなく、否列藩とても同様の事、賢君は僂指を値せぬ程の少数であ
たう/\ たぐひ
つたから、滔々皆此類であつたらうと断定する。
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勁直
強くて正直な
こと
戒飭
(かいちょく)
人に注意を与
えて慎ませる
こと
僂指
指を折って
数えること
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