ろーま
羅馬のシーザーでも、英吉利のクロムウエルでも、前者は死して約二
なんな
千年、後者は死して約三百年に垂んとするが、共に天下の公論未だ定ま
らずといふけれども、公論の定まらぬもの豈独り此等二人みに止まらん
さと
や、君子は義に喩り、小人は利に喩る。人々各々自己の胸中の寸尺を以
て他人の長短を測るのだから是非もない。大塩平八郎の如きも矢張り其
たぐひ お
類だ。毀誉は棺を葢うて後に定まるなどゝいふ事は当にならぬ、平八郎
は棺を葢うて八十年に余り、最早や程無く百年にもならうとするに、其
毀誉の益々紛々たるのみならず、其伝記迄も異説百端帰一する所が無い。
いよい
これでは其毀誉も従つて愈よ紛糾するばかりである。或る者は彼の悲憤
しゆんれい
なる最後を以て、彼の驕慢にして峻獅ネ天性に出づるといふが、其天性
た
を矯めるものは教育でないか、そこで又彼の悲惨なる最後をば彼の奉じ
た陽明学の罪に帰する者もあるが、人間は学問ばかりで動く者でない。
ここ
人間の動くのは其境遇に駆られる者でないか、是に於て又彼の悲惨なる
最後をば当時の悪政に刺戟されたものだといふ者がある。併し乍ら、虎
よりも暴なる苛政の下には、何人も皆平八郎たるかといへば左様でなく、
かす
我住む屋根裏にだけ幽かな反抗的の声を洩しても、一歩門を出づれば柔
た ひ
順なる事羊の如く、沈香も焚かず屁も放らず、御多分様に従つて動く者
の方が多い。すれば平八郎をして平八郎たらしめたものは、当然此境遇
の外に、天性もあれば其教育の力もあらねばならぬ。天性は即ち遺伝に
得たもので、御互の人格なるものは本来此遺伝と教育と境遇とによつて
作り上げられ、そして此人格が更に境遇に順応して働くものであるから、
いづ
平八郎の人物を批判するにも、固より此三点の孰れをも見逃してはなら
ぬ。
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