Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.2.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その73

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十 陽明学と彼の所謂孔孟学 (3) 管理人註
   

                              つま  朱王の弁は、細論せんには多くの紙幅を要するが、極めて簡略に撮ん              たうご で言ふならば、矢張り世間の套語と為り居る如く、朱子の説は先知後行 であるから、読書を重んじ、陽明の説は知行合一であるから、実行を重 んずるといつて宜しからう、而して其分岐点は、大学の最初の明徳の章                              ひら の解釈から起つて居るので、陽明の祖述せる陸象山が已に其端を啓いて                 いにしへ      あきらか 居る。明徳の章とは何ぞや、是は「古の明徳を天下に明にせんと欲する                             とゝの 者は、先づ其国を治む、其国を治むと欲する者は、先づ其家を斉ふ、其 家を斉へんと欲する者は、先づ其意を誠にす、其意を誠にせんと欲する                         しかしてのち 者は、先づ其知を致す。知を致すは在物、物格、而後に知至り、知       まこと 至つて後に意誠なり、意誠にして後に心正し、心正しうして後に身脩ま る。身脩まつてて後に家斉ふ、家斉うて後に国治まる。国治まつて後に   たひら                  いつ 天下平かなり。天子より以て庶人に至るまで、壹に是れ皆身を脩むるを   もと 以て本と為す云々」といふ文で、誠に儒学の依つて立つ大綱領である。         ごうりん それ故、此解釈に毫釐の差があれば、所謂毫釐千里を誤るの諺の如く、   あいがつ 遂に相合する能はざるべきである。而して朱王の論争は、実に茲に私訳               きざ を避けた「在物」の三字に萌すもので、朱子派は之を「物に至るに 在り」と読むに対し、陽明派は之を「物を正すに在り」と読む。其結果 は、前者は、是を以て吾人の知識を致すのは、事物の理を窮め至るに在 るとするのだが、後者は、是を以て吾人の知識を致すのは、事物の理を 正すに在るとするのだ。「至る」と「正す」。ホンの僅の違の様だが、 前者であると、我心を以て、理を事々物々の中に求むる事になるけれど も、後者であると、我心の良知を事々物々に致すことで、正に是れ陸象 山の六経は、我心の註脚也といふ心意気である。前者であると、事物が 心の主になるが、後者であると、心が事物の主になる。行くと戻るとの 相違である。陽明の高足徐日仁の語に「心は猶ほ鏡の如し、聖人の心は            こんきやう 明鏡の如し、常人の心は昏鏡の如し、近世格物の説は、鏡を以て物を照                    くら すが如し、照す上に功を用ひて、鏡の尚ほ昏きこと在るを知らず、何ぞ                          あきらか 能く照さん、先生(陽明)の格物は、鏡を磨いて、之を明ならしむるが                                如し、磨く上に功を用ひ、明にし了つて後にも、亦未だ嘗て照すを廃め ず」とあるは、最も能く朱王の学風の相違を知らしむるものであらう。





套語
套言
きまり文句























毫釐
ごくわずかな
こと


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