Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.2.7

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その74

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十 陽明学と彼の所謂孔孟学 (4) 管理人註
   

 朱子派の如く、窮理に偏するの弊は、博識の虚名を受くるに至る事あ るも、其智識が散漫で、甲は甲の理、乙は乙の理、丙は丙の理といふに とゞ 止まり、其間に一貫の理趣なく、事に当つて百疑生じ、敏速に之に処す                 る事が出来ぬ。陽明の祖述し居る彼の象山が、学者は先づ天地の間に生                       すべか  くわつだい じ、如何か樹立すべきかを知るを要すといひ、又須らく濶大なるべし、 末節に拘々たるべからずといつたのも、畢竟流俗に於ける此痛弊を見た               まぬか のだが、陽明は即ち此痛弊より免るるを得、宇治川を遡つて琵琶湖に尋                  たゞち ね至る如く、方寸裡の人心を究めて、直に広大る天理を悟得した。是が 即ち象山と共に心即理を説いた所以で、「夫れ物理は吾心に外ならず、                        わす 吾心を外にして物理を求むれば、物理無し、物理を遺れて吾心に求めば、 吾心又何物ぞや。心の体は性也、性は即理也」といひ、又「心は即理也、                          すなは 私心無くば、即ち是れ理に当る。未だ理に当らざれば、便ち是私心。若       わか し心と理とを析つて之を言はゞ、恐らくは亦未だ善からず」といつて居 る。是れ即ち、象山が、世の天理と人欲とを分説するを斥けて、理を天 に帰し、欲を人に帰するは一を二とするものだと喝破して居ると同一思          いな 想に出で居るのだ。否陽明は此思想を推究して、更に一歩を進めた。  欲を人に帰するは宜しいが、然らば其人は何処から来れりとするか、 通ぜざる議論である。其故に、明道も朱子も、理気二元論を説き、性に 本然の性と気質の性との二つあり、欲は此気質の性より出づる所とする          いづ が、然らば此気質は何れより来るかと問はば、其窮するや知るべきであ る。然るに陽明は此の如き区別を認めず、「理は気の條理、気は理の運 用」と称して、恰も理と気とは一物の両方面なるが如くに言ひ、又「生、 之を性と謂ふ、生の字、是れ気の字、猶ほ気は即ち是れ性と言ふが如し、 気は即ち是れ性」ともいつて、気と性とを同一視したから、気が人欲に                           限らるる如き理由は消滅する。即ち「至善は性也、性、元と一毫の悪無 し」といふが故に、陽明は此気をば、孟子の所謂、惻隠、辞譲、是非、 羞恥の四端をも、是は気であると明断するに至つた。


















王陽明
『伝習録』
上巻第3条


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その73/その75

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ