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いな
否此致良知の説迄は、独り朱子のみならず、多くの学者も同意し得る
そ
事で、夫のスピノーザ、若しくはデーカルトといふが如き人々の、主知
的道徳説とも共通の所があるが、陽明は、是に止まらずして、更に知行
と
合一論を誤き、知れば必ず知つた刹那に行ふべく、行ふといへば行ふ刹
那に知つて居たものでなければならぬと考へたので、彼は「好色を見る
おこなひ か
は知に属し、好色を好むは行に属す、唯那の好色を見る時已に自ら好み
ひとつ
了る。是れ見了つて後に、又箇の心を立て、好み去るならず、悪臭を聞
にく おのづか
くは知に属し、悪臭を悪むは行に属す。只那の悪臭を聞く時、已に自ら
悪み了る。是れ聞き了つて後、別に箇の心を立てて、悪み去るならず」
おこなひ
といつて居る。即ち知れば必ず行に現れなければならず、行に現れぬ知
といふものがあるなら、其知は真の知ではないと考へた。而して世人が
知行を分つて二分と為し、先づ知り了つて然る後に能く行はんとするも
も な
のを嘲り、「我如し今且つ講習討論し去り、知の工夫を做し、知り得て
まさ
真にし了るを待ち、方に行の工夫を做し去らんとす、故に遂に終身行は
きた
ず、亦遂に終身知らず、此は是れ小病痛ならず、其来る、已に一日に非
あきらか こら
ず」といつて明に朱子派の読書に精を凝し、先づ知つて後に行ふといふ
説に反対した。是は、頗る実行の上に効果の適切なるものが有ると同時
こうこう
に、朱王の学説の間に、超ゆべからざる鴻溝を画したものであつたが、
あは
併し是も実際に当つて考へれば、如何に知と行と合して一とすればとて、
おこなひ
知つて行ふといふ順序は、到底破る事は出来まい。陽明は「知は是れ行
の主意、行は是れ知の工夫、知は是れ行の始め、行は是れ知の成るなり、
がう
若し会得する時は、只一箇の智を説くも、自ら行の在るあり、只一箇の
おこなひ みづか
行を説くも、已に自ら知の在るなり」といつて居る如く、彼は是をも亦、
一物の両方面の如く説かんとするも、是のみは左様はいかぬ。而して其
あきらか ことば
いかぬ訳は、明に如上の彼れ自身の語の上にも現れて居る。即ち「知は
是れ行の始、行は是れ知の成るなり」といつて居るが、是は唯其知と行
おのづか
ひとの間に一呼吸の空隙も無い事をした丈で、其処には自ら先知後行の
さ う
順序が存在して見える。是は何としても左様なくてはならぬ筈だ。併し
たん/\ とぎよ いたづら
滔々たる流俗は、多くは一個の蠧魚であつて、徒に書斎の番人をなし、
たまた いづ
曾て街頭に現れ出でぬものが多く、偶ま現れ出るものがあつても、神速
おこなひ
を欠く。即ち、知と行のとの間の時間が甚だ長いのだが、陽明の説を守
れば、之を痛く短縮せねばならぬ丈は確実である。併し是も亦、陽明の
それがし やまひ
固より知れる所で「某、今箇の知行合一を説くは、正に是れ病に対する
薬」と白状し、「今若し宗旨を知り得る時は、即ち両箇と説くも亦妨げ
ゑ
ず。亦只是れ一箇なり。若し宗旨を会せずんば、便ち一箇と説くも、亦
なにごと な むだばなし
甚事をか済し得ん、只是れ間説話」と。説明して居る。
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誤き
「説き」か
鴻溝
大きなみぞ、
へだたり
『伝習録』上
流俗
世間の風俗、
習慣
蠧魚
本ばかり読
んでいる人
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