|
いな
洗心洞箚記一巻を取つて、仔細に之を検するに、平八郎は忠実なる陽
明の信奉者であつて、別に何等の新説を加へぬ。即ち陽明の心、即理気
合一から致良知、知行合一は固より、排仏老等の諸説に至る迄皆一意姚
江の流を汲んで居るものだ、世には彼の帰大虚の説を以て何等か独創の
けん
見の如くにいふものがあるけれども、是とても陽明には、唯平八郎の如
わやう
くに説くこと多からず、又話様を異にするといふ丈で、全然平八郎が一
あきらか
新説を発明し得たといふ程でないと思ふ。即ち、それは彼れ自ら明に、
人の「陽明先生も亦、明に太虚を言へること有る乎」と問へるに対して、
有りと答へ、「良知の虚は、便ち是れ天の太虚、良知の無は、便ち是れ
太虚の無形、日月風雷、山川民物、凡そ貌象形色あるは、皆太虚無形中
いまだ しやうげ な
に在つて発用流行し、未嘗て天の障礙を作さず、聖人は、只是れ其良知
したが
の発用に順ふ、天地万物、倶に我良知の発用流行中に在り、何ぞ嘗て又
一物の良知の外に超え、能く障礙を作す有らんや」との伝習録中の陽明
ことば
の語を引用して示して居る。
ま
況して陽明以外に求むれば、虚を語るもの甚だ多く、為に彼には特に
なかんづく
儒門空虚聚語の一篇ある程で、洗心洞箚記中にも、一二之を掲げ、就中
せつ
張横渠の説を最も多く示して居る。而かも彼の説き方が、最も俗耳に切
にして親しみ易く、悟り易きものであることは争はれぬ、例へば「天は
こと
特に上に在つて、蒼々たる太虚のみならざる也、石間の虚、竹中の虚と
雖も、亦天也」とか、「唾壺の虚は空中の虚と一般」とか、「方寸の虚
も
は口耳の虚と本と通じて一、而して口耳の虚は即ち亦太虚と通じて一、
かぎり
而して際無し、四海を包括し、宇宙を含容す、捉捕すべからざる也」と
か「常人方寸の虚は聖人方寸の虚と同一虚、而し而して気質は則ち清濁
おなじ
昏明、年を同うして語る可からざる也、猶ほ貧人室中の虚は、貴人室中
をくしやう
の虚と同一虚、而して四面の障壁、上下の屋牀は、美悪精粗の同じから
ざるが如き也、而して方寸の虚とは、便ち是れ太虚の虚にして、太虚の
しようへき
虚は便ち是れ方寸の虚也、本と二無し、畢竟気質之を牆壁する也、故に
さながら せうえう
人学んで気質を変化すれば、聖人と同じき者、宛然偏布照耀す、包涵せ
ざるなし、貫徹せざる無し、鳴呼気質を変化せずして学に従事する者は、
は
其学ぶ所、将た何事ぞや、陋と謂つ可し」とかいひ居る類がそれである。
|
『洗心洞箚記』
その165
障礙
(しょうがい)
障害
『洗心洞箚記』
その2
『洗心洞箚記』
その189
『洗心洞箚記』
その11
牆壁
隔てるもの
照耀
ひかりかが
やくこと
|