Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.2.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その81

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十 陽明学と彼の所謂孔孟学 (11) 管理人註
   

 吾人の日常の感じからすると、気息を殺して憂慮に耽る時には、心内                           物ありて、充塞するが如く考へ、ホツと一息して憂慮を止めれば、心内 忽ち空虚なるが如くに感ずる。此時「何、心臓内が空虚で堪るものか、 血液が充足して居る」といつたら、一言なく、更に「考へる場所は脳だ、 方寸の心臓でなどあるものか」といつたら、是には二の句は継げまいが、                 而かも、実感からいへば、憂慮を棄つる時と、気息を吐く時と、同時で                               いと あるが故に、方寸の虚といふ事は理解し易い。然らば言詮の束縛を厭う て、直に実行に志す平八郎の思想としては、何人にも理解し易い此方寸 の虚からして、更に太虚に説き及ぼし、又此具体的の虚を以て、更に精 神界の虚に結ひ付けるとも、固より怪しむを用ひまい。彼は月を教うる に指を以てして居るのだ、指が悪ければ、鞭を以てするも、扇子を以て するも宜しい、教へ了れば、指の用はないのである。然るに此指を非難 して、是は月に非ずして指だ、間違つて居るといつたならば、地下の平                 ど う       かんがへ 八郎は果して首肯するであらうか如何か。予は此様な考で、是にも左迄                           ながれ の非難を加ふるを避ける。彼の気質変化の説の如きも、亦流を多く張横 渠に汲むものに過ぎぬが、委しく述べんには、述ぶべき事が余りに多い から、茲には煩を避けて一切を思ひ止まる。













言詮
言葉で説明
すること、
又その言葉
 


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