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唯茲に彼の実行と照し合す上から、研究の必要あるものは、其死生観
である。「生とは何ぞや」、「死とは何ぞや」といふ問答は、吾人の日
きつきん
常生活に最も吃緊なもので、真面目に考へれば、一起居一動作の間にも
なにゆゑ おびやか
此問題解決の必要はある。飢餓が何故に怖いか、死が脅すからである。
病気が何故に怖いか、死が脅すからである。戦争が何故に怖いか、死が
脅すからである。喧嘩が何故に怖いか、死が脅すからである。強盗が何
故に怖いか、死が脅すからである。天災地変が何故に怖いか、死が脅す
ゆゑん
からである。何故か、事に処して自ら其所以を解せずとするも、深く省
察して、極処に至るならば、常に其奥底には死の問題が巨眼を輝して控
やゝ
え居るに相違なく、其為に人は輙もすれば節義を失ひ、廉恥を忘れ了る
のである。されば吾人にして苟も天地の間に樹立し行かんとするならば、
先づ此問題から解決し置かなければならぬ。されば陽明は「学問功夫、
一切声利の嗜好に於て、倶に能く脱落し、殆ど尽すも、尚ほ一種生死の
けたい すなは
念頭、毫髪の掛帯有らば、便ち全体に於て未だ融解せざる処有らん。人
も せいしんめいこん
は生死の念頭に於て、本と生身命根の上より帯び来る。故に去り易から
このところ まさ
ず、若し此処に於て見破り、透して過ぎなば、此心全体、方に是れ流行
さは
礙り無し。方に是れ性を尽し、命に至るの学なり」といつて居るが、誠
に尤の次第だ。
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吃緊
差し迫って
重要なこと
声利
名声と利益
毫髪
ごくわずか
なこと
命根
いのちのもと
『伝習録』巻下
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