Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.2.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その83

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十一、其死生観 (2) 管理人註
   

 然らば平八郎は如何様に此理を悟得して居るかといふに、彼は最も此 生死観に重きを置いたと見え、反覆叮嚀に之を論ずる事、幾回なるかを         うち 知らぬ。茲には其中の最も彼の悟境を会得し易いものから拾つて見やう。                              けいぜん 彼は大程子の説を引いて曰ふ「死生存亡従来する所を知り、胸中瑩然疑      た      のみ 無きは、止だ此理耳、死の事は即ち生、是也、更に別理無しと、又曰く 「語黙は、猶ほ昼夜の如く、昼夜は、猶ほ生死の如く、生死は、猶ほ古 今の如しと、此は皆、心を尽し、性を尽し、而して死を理会する所以也、               うち 吾嘗て謂ふ、未だ出さゞる息、内に在るは、即ち生也、既に吹く息、外 に出づるは、即ち死也、身に就いて之を視れば、生死何ぞ知り難きこと         さとり  も か、之有らん。此悟、本と程子の教誨を承領し来りて以て得し者也」と、 即ち平八郎は、自ら太虚と一なるものだから、死するといふも、此気息 が方寸の虚を出でて、太虚に入る迄の事、生き考へれば、只今斯うやつ て坐つて居る間にも、一生一死がある。即ち吐く息は死で、吸ふ息は生 だ、といふ様に考へたものだ。  彼は又、揚亀山の説を引いて曰ふ、「天下を通じて一気のみ、合して 生き、尽きて死す、凡そ心知血気有るの類は、物として然らざるなし、       あらざ                       あう 合ふの来るに非るを知り、尽るの往に非るを知らば、其生くるや浮、                 えつせき 其死するや氷釈、昼夜の常の如く、悦戚するに足る者無しと、先生の此            しふさん 悟は全く正蒙太虚一気聚散の説より来る(中略)故に其終身道を論じ、             じやうそく    このひと 畏避因循の態無し、程門の上足高弟、斯人に非ずして誰ぞや」と、生死 は唯是れ一気の聚散で、合へば生といひ、尽きれば死といふが、合ふと て、其気が別な世界から来るぢやなし、尽きたとて其気が又別な世界に               うち               こつち 往くぢやない、等しく此太虚の中に居つて、右往左往する迄の事、此方         あつち   ぬ の垣根からつツと彼方に脱け、彼方の垣根からつツと此方に脱ける様な               ものといふ位な考で、前説と略ぼ帰を同うして居る。





瑩然
(えいぜん)
きらきらと輝
いているさま



語黙
語ることと、
黙っていること

理会
物事の道理を
会得すること



教誨
教えさとすこと











『洗心洞箚記』
その267



水上の泡

悦戚
悦と、悲しみ

聚散
集まったり
散ったりす
ること

上足
弟子の中で
すぐれた者


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