かねもち
当時の大阪の富豪といへば、鴻池屋、米屋等を筆頭として、辰巳屋、
加島屋、平野屋、天王寺屋、銭屋、近江屋、炭屋、千草屋の一党、(本
す
家、分家、別家等を惣べていふ)等沢山あるが、其豪奢を極め、権勢を
ほしいまゝ
縦にして居た事は甚しいもので、気節乏しき学者等は彼等の前に膝行し
て進み、頓首して御講釈を申上げるといふ有様。即ち当時文章を以て盛
か
名の有つた彼の篠崎小竹の如きがそれで、彼は其様にして三つ蒲団を重
きやうそく もた
ね、脇息に凭るゝ鴻池屋の主人、善右衛門の前に論語の御講釈を申上に
行つたといふ話である。小竹の無気力と同時に又鴻池屋の羽振をも証す
べきでないか。
斯ういふ市中の状態を見ては、隠居の大塩平八郎に何で癇癪が起らず
を
に居らう。而も身其職に居らなければ如何ともし難い。唯進言の外無い
そり
のであるが、今の跡部では反が合はぬ、矢部の居つた時には、自分とは
ちがへ しば/\ しじゆん
組違の西町奉行であり乍らも、屡次隠居の自分を招き寄せて時務の諮詢
もしたから、色々献策もし、冥々の功を積む事も出来たのだが、跡部と
なつては招き寄せるどころの段でなく、之をカラ邪魔物視するのみかは、
自分の部下といふべき東組の与力を嫌つて其組替を迄しやうと謀つて居
る有様で、唯さへ詰らぬ人物と忌はしく思つて居る処へ、富商等からは
いたづら
十分の金をも集めず、徒に堂島の米相場を取締り、大阪三郷の米の輸出
を厳禁して、市街に接続する近郷へも出させず、近郷の村民が食ふに米
穀なく、禁を犯して密に五升一斗の小口の米を買ひに市中に忍び入ると、
から
之を偵知して搦め取るに至つては、沙汰の限り、併しまだ無慈悲ではあ
るけれども、是が大阪三郷の米価を安くする為とあるならば、それはそ
れとして、多少の意味ありといふ者だが、江戸から多分の廻米の命を受
い ゝ
けて、唯々として受諾し、密に人を兵庫に遣り、其地の豪商北風荘右衛
門の計らひで買上をして居ると聞いては、沙汰の限りでないか、又蔵役
う
人も蔵役人で、密に其意を承けて、自藩よりの廻米を大阪以外の地に陸
上する、随分西宮以西の灘目と呼ぶ地方では、実際米問屋類似の仕事を
したものが沢山あつたと聞くに至つては、奇怪千万、而かも町奉行より
よ
其用命を承つて兵庫辺迄出掛けた者は誰かと聞くに、平八郎とは兼て善
か
からぬ夫の組違の西組与力内山彦次郎といふではないか、此の如き事を
おほい
頻々耳に入れた平八郎の癇癪玉は、遂に大に破裂した。
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