Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.3.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その93

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十三、挙兵準備と其齟齬 (1) 管理人註
   

 平八郎は、明春、堺七堂浜にて丁打(町間を定めて鉄砲の試射をなす こと)を試みる其準備だとて、九月頃より門人瀬田済之助、小泉淵次郎 等数名と共に、火薬、棒火矢(鉄製の長い筒に火薬を込め、砲で発射す                        くうぐわん るもの)、炮碌玉(用ひ方は今の爆裂弾に似、銅の空丸に火薬を詰め、 口火を施し、布にて包み、上を漆で塗つたもの)等の製造に密に従事し、 庄司義左衛門をして焔硝火薬を集めしめ、天満北木幡町の大工作兵衛を 招きて、火矢に用ふる棒を作らしめ、次には白井孝右衛門方より松の木 材を譲受けて、木砲を作り、高槻藩士柘植牛兵衛所持の百目筒をば所持 の刀一腰、唐画一幅と交換し、済之助をして同組与力由比万之助の父彦 之進、及び堺桜町の鉄砲鍛冶芝辻長左衛門より百目筒各一挺を借出させ、 又河合郷左衛門、吉見九良左衛門の二人をして、天満今井町の樫木職尼 崎屋仁兵衛、同所南森町尼崎屋仁右衛門、同所北森町鍵屋弥兵衛に注文 し、大砲の車台を作らせ、次に江ノ子島東町の次右衛門を招いて、木筒、          ふせとひ 及び鉄砲台に用ふる伏樋類似品を作らせ、其外、小銃、槍、刀、脇差を               まつのきぼう         ひうちいし 蒐集し、修理の準備をも為し、松木棒十本、樫木棒十本、燧石壱貫目、          のみ 燧金大小七挺、筍掘鑿六挺、草鞋廿五足、表五七桐、裏蔦の紋所、下に 二つ引の印附提灯弐拾張をも調整した。それから北久太郎町五丁目の版                       しゆつたい 木師次郎兵衛に檄文の版木の彫刻を命じ、それが出来すると、塾生、英 太郎八十次郎の二人をして夜中檄文を摺上げさせた。其檄文は左の通り、

伏樋
土の中に埋
めた樋











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