Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.9.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎空虚の哲理』

その14

高田集蔵

立正屋書房 1925

◇禁転載◇

二 哲学的思索
 (其二)(3)
管理人註
   

 或る天文学者は、太陽面上はたえず、無数の物質が落下し来つて、そ の燃焼の材料となつてゐると想像してゐます。それはあれだけり絶大な る光熱の原因を説明するには足らぬにしても、循環の理法から考へて、 そんな事も有るべき筈であります。それから詩才ある一生理学者は、個々 の血球はさながら一個の遊星の如く、自らの軌道をを走つてゐると曰つ てゐます。申すまでもなく、圧力の働き方に差違があり、随つて運動の 形式を異にしてゐますが、それは心臓を太陽と見る私の臆説に期せずし て一致した好譬喩だと考へられるのであります。  そこで詩人の歌つて、人々皆一個の太陽を有すとする、その太陽を形 の上に求めますれば、誰も心臓を撰むに躊躇しないであらうて存じます。 瞬時も間断なき心臓の作動は、正に人間本心の空虚そのものが鼓動され てあるやうであります。(尤もこれは心臓に限つたことでなく、他にあ らゆる機関が皆同じく空虚を以て心としてゐることは申すまでもありま せん。これも地球を初め八個の遊星が悉く空心であるのに引き当てゝ面 白い奥義的の説明があるのですが、今はたゞ心臓の働きが最も著しく代 表的のものであるのを採るに止めて置きます)  ニユーソートの学者は心霊を実体としてその真実性を認めますが、物 質を否定し、肉体の如きも、心霊の蔭影に過ぎざるものと見て居ます。 中斎学に於ても一応肉体の現象の上に心のおのづからなる現はれを見ま すが、要は心のいかなるかを知るに存して躯殻形骸は永く執着すべから ざるものとするのであります。  【空虚内外致一図 略】  そこで人間方寸の霊は、躯殻外の虚と通じて同じきものだと云ふものゝ、 形而下的よりも寧ろ形而上的に之を解するを本と致します。この人間内 外の空虚が本来同じきものであり、その活動の法則もリズムも相互に一 致してゐる趣を図解すると正に次の如くなるのであります。  【図 略】  そこで虚心なる人の心中に実現し来る仁義礼智の道念は、自然界に循 環せる春夏秋冬の季気と相応ずるもので、共に宇宙太虚の理たる元亨利 貞の顕現なりとするのであります。  猶前図は人の情と天地の象との一致を表し、後図は自然界と人体との 形骸上の相応を示したものであります。














譬喩
(ひゆ)





















ニユーソート
(New Thought)
新思考米国で始
まった宗教運動
のひとつ


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