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春夏秋冬は天地自然の心の空虚から生ずる道の流行であつて、之によ
つて万物はその生育を遂げて行くのでありますが、夏の熱と冬の寒とそ
の極に達するのとき、人は之を怨憎して仇敵の如くする。しかし天地自
然は為めに聊かもその道を枉けようとは致しません。聖人太虚の心、亦
之と同般でありまして、その道を行ふや、利害感情によつて苟も喜慶し、
苟も怨磋する常人に媚びることはしないと云ふのであります。
虚 心
天地は虚心なり
聖人も虚心なり
並に従容として
まか
たゞ裏よりする「道」の働きに信すなり。
されば天地は万物に対して
一点の私愛なく
聖人は民衆の上に
毫毛の小恵を施さじ
たとはゞ犠牲の芻狗か
祭祀過ぎぬれば、人棄てゝ顧みず
この氷心の冷々たるものありて
天地も、人も
始めて「道」の用たるべし。
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枉(ま)け
芻狗
(すうく)
まぐさと犬、
祭に用いる
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