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ですから中斎学は一面に於て万有一貫の生命たる空虚の天と人と、無
限大と無限小と、物と心と、聖と凡とに通するものであると提唱致しま
するが、他方に於てはまた聖人と常人との間の懸隔千里万里なるを警戒
するものであります。随つて聖人空虚の道は到底衆愚凡俗に認められる
ものではなく、澆季末代に出でし聖賢の心がいかにも淋しいものである
ことは無論であります。一代の心血漉いで此の書に在りと、著者其人に
よりて証言せられたる「洗心洞剳記」は徹頭徹尾虚の一字を説かれたも
のと私には拝見致されまするが、之を富士の山巓に埋めて山霊に問はれ
た中斎先生の心事を想ひ来るとき、不肖の私、亦同涙悲嘆の至に堪へざ
るものがあります。しかし聖賢は聖賢、凡俗は凡俗と、謙らず遷らず、
永久に相知り得ざるものだと云ふのは易に所謂天地否であつて、謙虚を
以て聖人の心とする中斎学の精神に甚だ大に乖るものであります。中斎
学は人間が平等に本来虚心たることを信じて疑はざるものであります。
而して君子と小人と決して宿命的に固定せるものではなく、君子と雖も
善を知りて之を行はざれば、それは小人に化するの機であるとし、小人
と雖も悪を知りて行ふことをせざれば、それはやがて君子に変ずるの基
であるとするのであります。
話しが少し岐路に入りましたが、とにかく以上哲学的に空間と自然と
本体とに就きて思索しましたところの凡ては、中斎学に入る予備智識た
るに過ぎずして、私共の研究がこの辺に止まりましたならば、それは未
だ中斎学のを食はず堂に上らざるものであります。中斎学の城門は、
この虚を失つてゐる常人が、いかにしてもう一度その本来の太虚に帰す
べきかの方道を求めて叩くところに開かれるのであります。即ち哲学的
思索の門を過ぎり、人心本来の虚をさとつて、それの失はれてゐる現状
を悲み、発奮して自ら聖人の虚を回復せんと志すとき、私共は爰に中斎
学の本陣に到達したのであります。
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澆季
(ぎょうき)
徳が衰え、乱
れた世、世の
終わり
漉(す)い
謙(へりくだ)
らず
遷(うつ)らず
乖(もと)る
(し)
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