Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.9.10

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎空虚の哲理』

その19

高田集蔵

立正屋書房 1925

◇禁転載◇

三、宗教的修練
 (其一)(2)
管理人註
   

 かく聖人と常人との径庭は月鼈も啻ならざるものがありますけれど、 方寸の虚に至つては少しも異つたものでない。方寸の虚、之を良知と曰 ふ、この良知をだに致せば、常人と雖も聖人となり得るのであります。 そこで方寸の虚(良知)が、聖人と常人とに於て変りなきの理を、二個 の空室に喩へられました。即ち聖人方寸の虚は、貴人室中の虚の如きに 対し、常人方寸の虚は貧人室中の虚に似たりと云ふのであります。室の 空虚は同般であるが、異るところは牆壁であります。この牆壁が頑陋で あつて、採光通気等の不十分なる室は、折角の空虚も、十分にその用を 為し難いものですが、常人の心は多くそれに類して居ると云ふのであり ます。そして牆壁に喩へられたものは人の気質であつて、こゝに良知を 致すべく、気質を変化するの必要が生ずるのであります。  それから未だ聖人の域に達せざる賢人、たとへば顔回の如きはその心 屡々空虚に帰したるなれども、聖人の常に空虚なるには及ばざること、 英傑が君父の為めに難局に当る時なぞ、その心殆んど空虚に近くなるが、 事終り功成るの暁、私慾放惰によつて空虚を失ふものがある等の事が指 摘されて居ります。それから勇者は専ら気を養ひ、儒者は主として理を 明める。共にその一に偏して完人とは言ひ難いが、聖人に至つては理気 合一して天地と徳を同うし、陰陽と功を同うするものだと説かれてあり ます。  猶死人と生人の別を説き、虚を失つてゐる常人は、覚醒の時、雑念の 為めに心徳を亡つてゐので、熟睡中一念なきの時、反て纔に生くるのだ と戒められてあります。  それから在上者と在下者の別もあります。在下者は、在上者に比して 世俗的からは明かに不利益な地位に立たされてゐる。即ち過なきに誣ひ られることもあり、過ありては到底在上者の如く免がれることが出来な い。故に在下者は心を尽して過なきの地に立たねばならぬと勧められて 居ります。これは修道上に於て、在下者は在上者よりも有利の地位に置 かれて居ることが暗示されてゐるのではありますまいか。




(ただ)








牆壁
(しょうへき)
垣根と壁、
隔てるもの















顔回
(がんかい)
顔淵、春秋時
代のの人、
孔子の弟子

(あきら)める
明るくする









(わずか)







(し)ひ


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