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官憲の禁制するところ、吾人劇に大塩平八郎の史蹟を観ることを得ざ
るや久し矣。
しかも余の解するところ、中斎大塩は米屋荒しの首魁として葬り去ら
るゝには、あまりに惜しき英傑なりき。殊に彼の哲学的思想に至つては、
空虚をその宗とし、仁孝を以てその用とするもの、而して日本儒界未だ
曾て有らざりしものを発揮せるを疑はず。
語に曰く、人生は短く芸術は長しと。斯人死すと雖も永久に滅びさる
ものは夫れたゞ芸術か。中斎の遺著、一部洗心洞箚記あり、自ら富士の
山巓に埋め去りしと云ふもの、是れ彼が心胆を灑尽せるの文字的活芸術
にして、貪夫をして廉に、懦夫為めに志を立つる感化の極めて皎著なる
ものあり。此の書存せんかきり、其の人永へに生くと云ふ、非ならん耶。
生がこの小著、もと是れ一回の講演に過ぎず、素より悉くその奥底を
叩くに足らずと雖も、略々その思想の精神大綱を挙し得たるを信ず。蓋
し活人は思想の権化なり。思想の伝はるところ、活人出づるなきを憂へ
ざるべし。空虚を宗とし仁孝を用とする中斎思想の伝播するところ、早
晩那様の活人や世に出でゝ、済世救民の真劇をや演ずらむ。かくの如き
は官憲も猶禁制し得ざるところ、其人亦果敢なき米屋荒しの魁たる覆轍
を踏むが如き拙を学ばざらむ歟。
草稿成るの日、寸感を巻首に題すること如此。
大正十三年臘月
著者
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『洗心洞箚記』
山巓
(さんてん)
灑尽
(しゃじん)
そそぎつくす
懦夫
(だふ)
意気地のない
男
皎
(ぎょう)
白く明るい
さま
活人
生きている人
覆轍
(ふくてつ)
先人の失敗
臘月
(ろうげつ)
陰暦一二月の
異称
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