Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.9.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎空虚の哲理』

その23

高田集蔵

立正屋書房 1925

◇禁転載◇

三、宗教的修練
 (其二)(2)
管理人註
   

 基督の山上の垂訓劈頭の第一句は、Blessed are the poor in spirit for their's is the kingdom of heaven. といふのであります。この the poor in spirit を日本訳には「心の貧しき者」と訳されてゐます が、支那訳には「虚心者」となって居ります。翻つて希臘語の原文と対 照致しますと、日、英訳共に直訳なるに対し、支那訳の方が意訳である のを見出します。而もそれは最も適当な意訳であつて、一心虚に帰すれ ば、良知自ら明かなるを説く中斎学の真理が、よくも簡潔に喝破されて ゐることぞと私には考へられるのであります。  心が虚になれば天国が直ちにその人の有となると云ふのは、杯を傾け て水を覆せば、招かずして空気の杯中に満つるが如きものであります。 私共に良知のありや無しやは問ふを須ゐず、たゞ心の虚ならざるや否を 是れ憂ふべきであります。心が虚に帰しさへすれば、良知は求めずして 其処に在つて働くのであります。易に所謂「謙受益」といふは正にそれ であります。  地山謙の象を見ますると艮土が坤土の下に雌伏してゐます。山高うし て地に屈するの形でありますが、事実高い山が平なる地の下に屈するこ とが有り得ませうか。そんなことは有り得べくもありません。私の僭解 によりますると、この地山謙の山は地平下に隠れたる山基を指すのであ ります。普通山といへば地から上に聳へてゐるものゝ様に考へられます が、山にも山脚と申しまして、その根基は深く地中に蔵没してゐます。 ですから山をして高からしめてゐる所以の根基は、却つて地より低きと ころに蔵れてゐまして、世に出でゝ人の目に見らるゝ山姿は、実はその 末なのであります。かりに山嶽に霊あるものと致しまして、隠れたる根 基、即ち自己の大地盤を信ずることが出来たとしたならば、その現はれ てゐる部分に就いてたかぶることはしないでありませう。現はれて人に 認めらるゝ部分は、その実恃むに足らざるものであります。桑田も変じ て海となるといふ有為転変は、泰山と雖も免がれ難く、不断に行はるゝ 風化水触の作用や、地震海嘯の如き突然の地変によつて、到底永くその 恒姿を保ち難き数のものであります。


劈頭
(へきとう)
最初

Blessed are
・・・ 
「マタイ伝」
祝福は彼らが
天国であるた
め精神に劣る

























地山謙
(ちざんけん)
「易経」


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