Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.9.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎空虚の哲理』

その28

高田集蔵

立正屋書房 1925

◇禁転載◇

三、宗教的修練
 (其三)(2)
管理人註
   

 さて去虚偽を通俗の言葉に翻すならば、神道の六根清浄の義、また基 督教のバプテスマに当るものと私は解するのであります。先づ六根とは 眼耳鼻舌身意の六根、形心共に本来空虚なるものであつて、苟も人の見 るところ、聞くところ、嗅くところ、味ふところ、聖人たると常人たる とによつて異なるところはないのであります。白は白、黒は黒、馬は馬、 鹿は鹿、是は是非は非、その感覚、知覚、乃至判断に二あるべからざる ものであります。しかし老子は斯んなことを曰つて居ります。    守 真  人よ  色彩の美、いかにわれらが視覚を惑はすかを知れりや  音楽の調、いかにわれらが聴覚を乱るかを知れりや  美食の味、いかにわれらが味覚を損ずるかを知れりや  また  比武と狩猟とが、いかにわれらの心を熱狂せしめ  黄金崇拝が、しかにわれらの徳行を傷くるかを知れりや  蓋し官能の満足に耽る者は霊能を失ひ  勢利と虚栄を趁ふ者は  人心内部の真意を失ふなり  聖人は内部を修めて外辺に馳せず  物を以て自ら養ふも  終に物の為めに役せられず  能く彩色の誘惑を退けて  常に心神の虚静を保つなり    妄見顛倒  滔々たる世俗、こぞりて         「美」とし愛づるところのもの  多くは是れ醜なるのみ  滔々たる世俗、こぞりて  「善」とし誉むるところのもの  多くは是れ悪なるのみ  かく、衆生の見は顛倒せり。




バプテスマ
baptisma
洗礼

































(お)ふ


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