Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.9.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎空虚の哲理』

その32

高田集蔵

立正屋書房 1925

◇禁転載◇

三、宗教的修練
 (其四)(1)
管理人註
   

 孔孟は人の性は善なりと教え、苟卿は人の性を悪なりと説いて居りま す。前者は之を良知の正に見、後者は之を気質の偏に認めたものであり ませう。しかし中斎学に於ては、もう一つ人性の奥を極めて、之を無善 無悪の心体、虚霊天と等しきものを見得するのであります。孟子に「そ の心を尽してその性を知る、性を知るは即ち天を知るなり」と曰ふ、そ の天を以て人心の体とするのであります。  故にいかに虚偽を去つて信言誠行あり、浩然の気能く死生を一にし、 気質はた変化されて良知の明を致しましても、猶一個自善の固執が残つ てゐましては、未だ太虚の本体に帰したとは許し難いのであります。こ れには彼の宰予に礼楽の念あり、父母の喪を短くせんとして、不仁の罪、 夫子のに斥けられた例が挙げられて居ります。申すまでもなく礼楽の念 は善であつて悪ではありません。しかしその善念に塞がれてゐましては、 心の神明が自在の用を為すことが出来ぬのであります。ですから、悪を 離れてその影をも止めてはならぬ様に善にも執して之を恃んではなりま せぬ。徹頭徹尾心の空虚を保たねばならぬことであります。



苟卿
苟頽(こうたい)か
北魏の軍人・政
治家



『孟子』
尽心章句上










宰予
(さいよ)
孔子の門弟で
十哲中の一人


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