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次に眼を生理的現象に転じましても、人体を初め動物植物の生理的活
動は、やはり空虚に支配されてゐるのを見ます。先づ私共の呼吸作用は
何によつて起るか。三寸息絶ゆれば忽ちにして万事休すと申しまするこ
の呼吸は、やはり肺臓の中に生ずる空虚を満たす為めに空気を吸ふ、又
それを吐き出して空虚を作つては更に吸ひ込む運動の連続ではありませ
んか、若し肺臓が一朝にして膨縮の力を失つて、空虚の以て満たすべき
ものを作ることが出来なくなつたならば、私共の身辺を囲繞する大気が
いかに無尽蔵でありましても、その一ミルリツトルすら取り入れて私共
が生命の資料とすることは、もはや叶はぬのであります。血液の循環亦
然りで、血液が脈管を流れるのは血圧と云つて空虚を体とする心臓の収
縮舒張から生ずる圧力の平均を求める運動に外なりません。殊に微妙な
る毛細管現象や、五臓六腑のそれ/\の活動、飲食営養、排泄、生殖等
一切の作用が、悉く空虚を元機としてゐることは、人工の器械に見るよ
りも、更に/\精微玄妙なるものがあります。少しく余談に渉りますが、
私共の感ずる凡ての快感が、体内に生ずる空虚に負ふところがあるのも
不思議であります。笑ひのことは更にも云はず、空腹の時には疎食にも
美味を生じ、男女両性共に性交に伴ふ快感が生殖器官に生ずる真空に負
ふところあるが如き平凡の事実でも生理的心理学上の趣味ある研究題目
であらうと存じます。
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囲繞
(いじょう、
いにょう)
まわりを取
り囲むこと
舒張
(じょちょう)
緊張したもの
がゆるむこと
営養
栄養に同じ
玄妙
幽玄で微妙な
こと
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