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空虚の科学的考察に就いては、太簡の憾みはありますが、この位にし
て置きまして、これから一段と趣味の豊かなる哲学的思索に移らうと存
じますが、茲で拙訳『老子の言葉』から『道』の空虚に関する二三篇を
次の哲学門に入る序曲として引照して置きませう。老子の「道」として
詠嘆してゐるところの、宇宙本体の一面は、たしかにこの見えざるの空
虚なりと信ずるからであります。
万物の奥
「道」は隠れて存す
そは得て名づくべきやうもあらず
されど、万物を変化し
且之を完成するの偉能を有す
空 間
空間は無限なり
啻にその大きさに於てのみならず
またその作動に於て無限なり
而して、作動の無限は一にその体の空虚より来る
たとはゞ彼の籥か
空心、永へに変らず
実動、いよ/\出で尽くるときなし
空虚の妙用
見ゆるものは末
見えざるものは本
すべて見ゆるもの
見えざるものによりて活く
車輪の見ゆるものはその輻なり
こしき
されど、三十の輻悉く轂に輳まるを思へ
かく中心に見えざるの空虚ありて
天地の車輪は転じ行く
つく
陶器は粘土によりて製らる
されど、大小の陶器空洞ならぬはなきを思へ
かく内部に見えざるの謙虚ありて
人性、よく大道の器となる
建築は木石の集積に成る
されど、採光のために窓戸の開かるゝを思へ
かく内外を通ずる空竅ありて
人身、はた光明の家となる。
見ゆるものは末、見えざるものは本
天地も、人も、人の心も
すべて見えざる空虚の妙用によりて
見ゆる世界は活くるなりけり
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太簡
簡略過ぎる
憾(うら)み
啻
(ただ)
籥
(たくやく)
楽器の一種
輻(や)
輳(あつ)まる
空竅
(くうきょう)
あな
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