Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.8.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎空虚の哲理』

その7

高田集蔵

立正屋書房 1925

◇禁転載◇

一 科学的考察(5)管理人註
   

 空虚の科学的考察に就いては、太簡の憾みはありますが、この位にし て置きまして、これから一段と趣味の豊かなる哲学的思索に移らうと存 じますが、茲で拙訳『老子の言葉』から『道』の空虚に関する二三篇を 次の哲学門に入る序曲として引照して置きませう。老子の「道」として 詠嘆してゐるところの、宇宙本体の一面は、たしかにこの見えざるの空 虚なりと信ずるからであります。      万物の奥  「道」は隠れて存す  そは得て名づくべきやうもあらず  されど、万物を変化し  且之を完成するの偉能を有す      空 間  空間は無限なり  啻にその大きさに於てのみならず  またその作動に於て無限なり  而して、作動の無限は一にその体の空虚より来る  たとはゞ彼の籥か  空心、永へに変らず  実動、いよ/\出で尽くるときなし      空虚の妙用  見ゆるものは末  見えざるものは本  すべて見ゆるもの  見えざるものによりて活く  車輪の見ゆるものはその輻なり            こしき  されど、三十の輻悉く轂に輳まるを思へ  かく中心に見えざるの空虚ありて  天地の車輪は転じ行く           つく  陶器は粘土によりて製らる  されど、大小の陶器空洞ならぬはなきを思へ  かく内部に見えざるの謙虚ありて  人性、よく大道の器となる  建築は木石の集積に成る  されど、採光のために窓戸の開かるゝを思へ  かく内外を通ずる空竅ありて  人身、はた光明の家となる。  見ゆるものは末、見えざるものは本  天地も、人も、人の心も  すべて見えざる空虚の妙用によりて  見ゆる世界は活くるなりけり

太簡
簡略過ぎる

(うら)み






























(ただ)






(たくやく)
楽器の一種


















(や)

(あつ)まる






















空竅
(くうきょう)
あな
 


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