第十二 大塩中斎
平八郎名は後素、又正高といふ。字は子起、中斎は其号。
徳島藩老稲田氏の臣、真鍋次郎の二男寛政六年甲寅の歳を
以て、阿波国美馬郡脇町に生る。相伝ふ、父母豊国神社に
祷りて誕する所と。早とに母を喪ふ、母の縁故を以て、幼
にして大阪の某氏に托育せられ、七歳にして大塩氏を継ぐ。
孩提の時、既に父母の膝下を離れて遠く浪華の運ばる。温
乎たる家庭の楽は、彼遂に之を知らず、孤臣子其志を操
ること深し、故に能く、達すと、盖し中斎も亦た其人なら
んか。天資既に峻厳峭抜、加ふるに幼より悲酸なる境遇を
経過して倍々之を涵養す、世の凡童不運に遭遇すれば、忽
ち偏僻萎縮して、復た遂に暢発せず、唯々麒麟児は能く其
難険に処して、志気を養ひ、心胆を錬ふ、中斎は、襁褓揺
籃より早く已に逆境に入りて、畢生殆んど崎嶇に間関す、
其剛直果毅の気象は、盖し艱難の賓多きに居らん。
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