貪吏富豪
の奢侈
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献身的事業
天保七丙申の春より陰霖久しきに亘り、洪水氾濫し、秋晩に至り
ミノ
て又暴風烈雨、年穀登らす、米一石銀二百目に価するに至り、老
少は路傍に斃れ、丁壮は散じて四方に行く。中斎は良知の学を奉
じ、知行合一を期する者、此惨状を目撃して惻隠の情抑へんと欲
して抑ふる能はず、中斎乃ち町奉行に請ふに市民の賑恤を以てし
たれども聴れす。茲に於て同志二十有余名と共に之を大坂市中の
豪商に計る、豪商亦之を賑恤するに意なかりき、幕吏傍観、富豪
袖手、独り物価は日一日より騰貴して饑餓刻々に酸惨を加ふるの
み。
翌天保八丁酉饑饉愈々甚しく、下民に菜色多く、餓路に充つ、
暴吏日に驕奢を加へ、富豪倍々逸楽を極む、獣を率ゐて人を食ま
しむるの悲境、真に眼前に迫る。中斎の良知独り霊明、心中恰も
万斛の毒を仰ぐが如し。乃ち丁酉元旦一詩を賦しき。
ケ テ ス ヲ ニシテ シ リ ヲ
新 衣 着 得 祝新 年 羹 餅 味 濃 易下咽
チ フ シ ヅ ニ
忽 思 城 中 多菜 色 一 身 温 飽 愧于 天
茲に於て中斎悉く所蔵の書籍を鬻ぎて六百五十両を得、門人をし
て之を一万の貧民に配分せしめき、其符証左の如し。」
口 上
近年打続米穀高直に付、困窮之人多く有之由にて、当時御隠退
大塩平八郎先生、御一分を以て、御所持之書籍類不残御売払被
成、其代金を以て困窮之家一軒前に付、金一朱つゝ、無相違急
度、都合家数一万軒へ御施行有之候間、此書附御持参にて、左
の名前の所へ早々御申請に御越し可被成候。
但し二月八日安堂寺町御堂筋南へ入東側本会所へ七ツ時迄に
御越可相成候 河内屋 喜兵衛等
此の如く窮民の端緒を開きしも、町奉行跡部山城守は之を聞きて
嫉悪の情に堪へず、乃ち中斎の養子格之助を召して此挙を以て私
名を売り、上司を蔑視するものとして譴責を加へき。是に於て中
斎遂に止むこと能はずして、二月十九日を以て事を挙げ、門下同
志二百余人と共に救民の旌旗を翻して大に賑恤の事を行はんとす。
事を挙ぐるに先ちて、予め檄文を以て摂播河泉の間に告げにき。
其文に曰く、
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天保五年(甲午)か
石崎東国著
『大塩平八郎伝』
その63
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