Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.3.24

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その51

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 教育法(2)
  洗心洞入学盟誓
管理人註

塾則  

且つ其入学盟誓は最も特色を帯ぶ、今之が梗概を示さん。       洗心洞入学盟誓  聖賢の道を学び以て人たらんと欲すれば、則ち師弟の名正しか  らざるべからず、師弟の名正しからざれば、則ち不善醜行あり  と雖、誰か敢て之を禁ぜん、故に師弟の名、誠正なれば則ち道  其間に行はれん。道行はれて而して善人君子出焉。然らば則ち  名は学問の基なり、正しからざるべけんや。某孤陋寡聞なりと  雖、一日の長を以て其責に任すれば則ち師の名を辞するを得ず。  而して其名の壊と不壊は、大率ね下文條件の立と不立に在り。  故に盟を入学の時に結んで以て予じめ其の不善に流るゝの弊を  防がん、」  忠信を主として聖学の意を失ふべからず、如し俗習の牽制する  所となりて、学を廃し業を荒み、以て奸細淫邪に陥らば則ち其  家の貧富に応じ、某告ぐる所の経史を購ひ以て出さしむ。其出  す所の経史は、尽く諸れを塾生に附せん。若し其本人にして、  出藍の後は、各其心の欲する所に従ふて可なり。」  学の要は孝悌仁義を躬行するに在るのみ。故に小説及び異端眩  目の雑書を読むべからず。如し是を犯さば則ち少長と無く鞭朴                若干是則ち帝舜の朴作教刑遺意にして某の創むる所にはあら  ず。」  毎日の業は経業を先にして詩文を後にす、如し、之を逆施すれ  ば則ち鞭朴若干。」  陰かに交を俗輩悪人と締び、以て登楼縦酒等の放逸を許さず。  如し一たび之を犯さば、則ち廃学荒業の譴と同じ。」  一宿の中私かに塾に出入するを許さず、如し某に請はず、以て  擅に出れば則ち之を辞するに帰省を以てするも敢て其の譴を赦  さず、鞭朴若干。」  家事に変故あれば、則ち必ず諮詢し以て之を処せん、道の義あ  るか故なり。某人の陰私を聞かんと欲するにあらず。」  喪祭嫁娶及び諸吉凶は、必ず某に告けよ、与に其憂喜を同じく  せん。」  公罪を犯さば則ち族親たりと雖、掩護する能はず、諸れを官に  告げ、以て其処置に任せん、們小心翼々として父母の憂を貽  す莫からんことを願ふ。」  右数件忘るゝ勿れ、失ふ勿れ、此れ是の盟を恤へよや。 是れ厳正なる中斎が規定する所の塾則なり、彼は峭直にして励精、 事を処して寸毫を仮さす、其吏務を理むると等しく此塾則を行 したらん。或は疑ふ惨激恩少しと。然れども洗心洞師弟の情誼の 深厚なりしは、彼れが大事を挙ぐるの日に徹して知るを得ん。万   ス メント ヲ  シテ ヲ ス ヲ 死欲 身と殺身成仁とは、中斎の片時も忘れざる所、済々た る多士も此の薫陶を受け、能く身を献して師の命を奉ぜり、勢ひ 自から多少の脅迫を免かれずと雖も、二百有余名の死士を得る、 豈に偉大の感化力に由らすとせんや。     著 作  一 洗心洞箚記 (二冊)   二 同附録 (一冊)  三 古本大学刮目 (六冊)  四 儒門空虚聚語 (二冊)  五 同附録 (一冊)     六 洗心洞学名学則  七 洗心洞論学書畧 (一冊) 八 増補孝経彙註 (三冊)  九 洗心洞詩文 中尾捨吉編附大塩中斎論伝 (二冊)

猪俣為治
「大塩平八郎」
その17

















井上哲次郎 
「大塩中斎」
その14




  
 


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