Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.13

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大塩の乱関係論文集目次

高安月郊「大塩平八郎」目次


「大 塩 平 八 郎」その13

高安 月郊(1868-1944)

金港堂書籍 1902 より



◇禁転載◇

第五段 其二 学堂

***
正面に掲示す、
    以天地万物為一躰 此是孔孟学術 
    使天下万物各得其所此是尭舜事功、
中央に中斎、左右に格之助、済之助、儀左衛門、助次郎、正一郎、渡辺良左衛門、近藤梶五郎、梅田源右衛門、宮脇志摩、白井孝右衛門、橋本忠兵衛列坐。前に黄色の袋に入れたる散らし文を置き、後の壁には槍長刀火矢など立てかけ、庭に大筒小筒を備ふ。下手に廊下あり、向塀を越えて権現宮の屋根見ゆ。
中斎経書の講と事かはり、経書の心行はんと、此学堂を其侭に、帷幕となすも時の変。
格之文成公も賊を討ち、時に独断なされしも、良知を致す至当のはからひ。
済之剱を筆と打揮ひ、著はし給ふ先生の、書後に従ふ我々は、
儀左数ならねども磨きたる、心現はす此両腕。
良左小賊囚徒にあらずして、民をしひたぐ奸人原、
梶五天を侮る奸商の、家倉開きまきちらす、
正一 こがねしろがね血汐の花、
源右火焔の責は天の法、
志摩神の怒を現はして、
孝右民の恨を今茲に、
忠兵一時に晴すこゝちよさ。
助次しかし用意は整ひましたか。
儀左大筒小筒三十挺、火矢二百本槍長刀、旗は今日持参の筈。
志摩近在への散らし文には太神宮のお札をそへ、天より降りたる躰になし
孝右火の手上らば小前の者、里数いとはずかけつけて、金銀米穀分ち取り、
忠兵村々にては第一に、年貢にかゝはる記録類、引破り焼棄てさし、
良左殊に穢多へもそれとなく、申付けし事もござれば命惜まず働くべし。
助次徒党の人数は略(ほぼ)何程?
格之与力同心十二人、
正一浪人神官百姓等、重なる者は二十人、
忠兵人足小者は集むる最中。
助次して事起す其期日は?
中斎期日は既に決定せり、月の終に東西の町奉行が屋敷巡見、向の家に休息なすこそ、何よりの好き汐なれ。これを狙ふて一撃なし、川を渡りて大米屋、其他の富家に大筒打込み、行かるゝまで進み行かん。
助次してお城へは?
中斎城を乗取り何かせん、目ざすは憎き奴原のみ。印の旗も天照らす、我大神と湯武王、救民の大文字、吾絶筆には好い心地ぢや。
助次拙者も用意致すでござらう。いづれも御免。
  入る
中斎イヤ 恠(あや)しき平山の今の素振、誰ぞ追ひかけ問糺し、仕義によつては打つて棄てい。
済之拙者 追ひかけまゐるでござらう。御免。
  入る
儀左旗は遅うござりまするな。
  五郎兵衛旗を持つて出づ。
五郎唯今持参致しまする。
中斎オ五郎兵衛 待兼ねた。
五郎誠に遅うなりました。何しろ人手にかけられず、人目を忍ぶ染物故、やうやう唯今出来ました。まあ御覧下さりませ。
  旗を示す
中斎(開き見て)よしよしこれにて十分なり。其方は何気無く、いつもの通り家業なし、当邸へはまた参るな。
五郎これは仰せとも覚えませぬ。私の命は大川の、水に投げて無い所、今の命は皆お蔭。何がな御恩返しをと、思ふ矢先おあつらへ。物を知らぬ私でも荒方それとはお察し申し、勿躰ないやら悲しいやら、涙で染めた此お旗、武芸こそござりませね、せめてはこれをさしかざし、真先に進みまするが、万分一のお礼でござります。
中斎すりや此度の企を?
五郎此五郎兵衛の命は添物、つまらぬものでも何になと、お使ひなされて下りませ。
中斎フム――イヤそれなれば頼みがある。
五郎なにお頼みとおつしやりますは?
中斎此身はいかになればとて、固より心きめたれど、唯気がゝりは我著述、これも定めて焼きすてられん。いや残すといふも私が、説く所さへ正しくば、人の心に消えはせじ。それよりは妻のゆう、知らぬ事とて免れぬ、罪科にさぞや驚かん。何とぞ力をそへてくれい。殊にそちの娘みね、只ならぬ身と兼て聞く。そも我先は今川義元以来続きし此家を、今滅すは何とやら、孝道に欠くる次第、名は兎も角も血筋のみ、せめて残さば満足なり。とはいへそれと云はれぬ仕義、ア仕合せか不仕合せか、そちも因果ぢや頼んだぞよ。
五郎分かりました分かりましてござります、御安心なされませ、急度私がお血筋を、いや私の血筋ぢや立てねばなりませぬ。
中斎過分ぢや五郎兵衛、礼をいふぞ。
五郎何の御挨拶に及びませう。
中斎それ染物代。
  巻物を渡す
五郎こりや系図、ではない染物代。難有うござります、確に受取りましてござります。
中斎好い合点、早行け早行け
五郎そんなら先生。
中斎五郎兵衛、ア不思議の縁であつたなあ。
五郎そしてまた若旦那、あなたは別に御注文は?
格之今更何もいふ事は――
五郎いやそれも呑込みました。そんなら皆様、どうぞ首尾よう、いやお天気にしたいものでござります。
  入る
儀左あ学ばずして義理を知る、けなげな男でござりまするな。
  済之助刀を抜きたるまゝ走つて出づ。
済之一大事でござりまする。
中斎さては彼奴裏切ぢやな。
済之お察しの如く彼平山、卑怯にも奉行へ訴人、追ひかけしが及ばずして、却つて我を捕へんと、囲むを払ふて参りました。
中斎然らば猶予なり難し、これより直に打立たん。用意。
一同ハア――
矩之あいや暫く、暫くお待ちなされませい。
  矩之助出づ。
中斎宇津木には何故に、
矩之お止め申す無謀の企。
一同何と。
矩之先程格之助殿よりお話あり、此程よりの躰たらく、大方それと推察なし、御諌言をと思ひしが、斯く急にとは知らざりしに、今となつて後れしが、未だ全く遅くもあらず、云はねばならぬは何よりも、先生のお身第一。
中斎そりやまた何故。
矩之そも先生は藤樹以来世に憚らず陽明の、学を掲ぐる唯一人、重き御身を一旦の、怒に捨てんとせらるゝは、余りに惜うはござりませぬか。しかも甲斐ある事共か、僅に俗吏町人共、討て家財を散らせばとて、何程の事がござらうや。まして罪無き者共を類焼なして何が義挙。彼等の暴は憎むべきも、此企も亦暴なり。暴挙の譏(そし)りに名を汚し、御一族より一味まで、跡を絶つとは何事ぞ、何とぞ利害を考へ給ひ、今よりしても此企、止まり下さりませ。
中斎御身は私の利害を考へ、未だ天の大理を知らず。いかにも門辺 大米屋、彼等は斗【竹/肖】(とせう)の小人なり、されど古今未来まで、稍もすれば上に立ち、世にはびこるは彼等の類なり。天道は余りに大きく、覿面に賞罰せず、孔孟いかに教ゆるも、盗跖長く富むからは、邪慾改むる時は無く、貧者長く苦むべし。我今彼を打挫き、此を救ふは義を正し、天道を行ふなり。万巻の経典も一挙の炎に及ばんや。一時の害は云ふに足らず。義理を解せぬ奴原は恐れしむるに若く事無し。御身も一臂を貸してよからう。
矩之いゝやそれは僻事(ひがごと) ならん。始皇の暴は唯一時、暴挙に正義立つべくは、孔子も饑えはなされまじ。
中斎始皇の暴は悪行なり、我企は善の為。
矩之心いかに善にもせよ、行(おこなひ)悪となる時は、心も共に曇るべし。
中斎然らば湯武は悪人か、伯夷叔斉清くとも、為す事無くして救はれず。
矩之湯武は勝つべき目算あり、先生は見す見す破滅。
中斎成敗は云ふに足らず、天道を行ふに一時の勝を計らんや。
矩之いや世俗の見るは成敗なり、成りてこそ恐れもせめ、敗れては笑ひ草――
中斎笑はヾ笑へ 譏らば譏れ、天の心は此手にあり、触るゝ者は天罰ぞ、向ふ者は天の罪人、欠けし世界を今茲に、猛火に投げて鋳直さん。恐れずは殺すべし、遁れても遁さんや。不義不正の徒はまた一日も免せしはせじ、先づ我邸打砕き、権現宮に一発せよ。寺院とて容赦すな、彼等も不義の一なり、大家と見れば打込めよ、これこそ不正の土くれぢや、不当に積みし金銀取上げ、不当に苦む貧者に分たん。今より我は天の奉行ぢや。
矩之あ、翻へされぬ御決心、是非もなき義でござる。しかし拙者は君あり父あり、忠孝には替へられず。さればとて師弟の情 いかで見捨て申すべき、君父の為にお味方致さず、師友の為に命惜まず。いざ先づ拙者をお討ちなされ。
中斎オゝ命貰ふた、それ格之助。
格之ハツ
    槍を取つて立ち上る、矩之丞胸を開いて待つ。格之助突き兼ねて伏す。正一郎進で其槍を取る、突く、矩之丞倒る。
中斎それ大筒。
人足ハア
  大筒を引出す
  ゆう駆けて出づ。
ゆう邸をお砕き遊ばすなら、此身をどうぞ其下へ。
  自害す
一同ヤゝこれは?
ゆう跡へ残つて嘆かうより、お先へまゐる一つの訳は、今討たれた宇津木殿菩提の為にもなりませう。
中斎出かした出かしたこれにて心残りはない。
ゆう我つまおさらば。
中斎オゝ
  ゆう死す
済之いざいざ出陣
一同      致しませうか。
中斎打て!
一同ハッ。
  一同立つ、正一郎権現宮に向て一発、屋根砕ける。
中斎(槍を取て)家康も目を、醒ましたであらうわい。


高安月郊「大塩平八郎」目次その1(登場人物)/その12その14

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