高安 月郊(1868-1944) 金港堂書籍 1902 より
*** | 上手に倉あり、下手に入口あり、正面奥深く座敷見ゆ。一方の壁に諸国来状注文帳多くかけ、其下帳場、小さな机を置く。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金之助、銀兵衛向ひ坐す。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | イヤもうし若旦那、何を考へておいでなされます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金之 | 何をとはこれ銀兵、お前は中々忠義なものぢやな。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | そりやまたなぜでござります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金之 | なぜにとは分らぬが、矢つ張これは阿蘭陀か鸚鵡の方が頼みになる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | これはまたお情無い、幇間風情と私と、一口におつしやるは、余りではござりませぬか。金之 これでも私が頼りにして、何事も相談するのに、一つもやつてくれぬぢやないか。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | あなたの事で私がせぬ事はござりませぬ。南や北の軍用金、伊勢や京の遠攻にも、大旦那へ内々で、どんどん御用達致しまするのに、兵糧方は損な役、手柄がお目にかゝりませぬか。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金之 | そんな事は知つて居るわい。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | そんなら何でござります――ア分つた、まだあの敵にお心がござりますな。これはきつい御執心。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金之 | 人もあらうに大塩の内に奉公して居た故、忌々しうてならなんだが、暇を取つて出たからは、何とか仕様がない事か。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | またあの親父が片意地者、容易に落城致しませぬ。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金之 | それ故そなたを頼むのぢや。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | こりや大分むつかしうござりますな。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金之 | オそれそれ 天満にある借家一面、私の代になつたら急度お前にやる程に。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | エ、そりや本間でござりますか。イヤそれなれば両肌脱で、大働きに働きませう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
立上る | 鉄砲の音 |
金之 | ヤあの音は?
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| 手代走つて出づ。 |
手代 | 大騒動でござりますござります
| 内へかけ込む |
金之 | なに騒動、おみねをどこぞへ取られたのか。
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手代 | そこ所ぢやござりませぬ、あの音が聞えませぬか。
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金之 | さあ今聞て驚く所。
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銀兵 | よもや天満ではあるまいな。
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手代 | 天満から始まつて大阪中大阪中
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金之 | 何ぢや大阪中?
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手代 | あの火を御覧なされませ。
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金之 | なに火?
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銀兵 | (門へ出て)ほんにこりやえらい火ぢや。いやどうやら借家の方らしいぞ。
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手代 | お内の借家は無論の事、火元は与力の大塩から。
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銀兵 | エイ。
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金之 | 今時分何の麁相(そそう)?
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手代 | 麁相所か我と我屋敷に火をかけたのでござります。
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金之 | そりやまた何で何の訳?
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手代 | 訳は何やら知りませんが、権現様へも鉄砲打ち、天神様から寺々から、大家と見たら打込みます。
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二人 | エイ
| 丁稚走つて出づ。
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丁稚 | 来ました 来ました 来ました 来ました
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金之 | 来たとはどこへ何者が?
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丁稚 | 大塩の軍勢が茲(ここ)へやつて来ましたわいなあ。
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二人 | エイ
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銀兵 | お取方は何で出ぬ。
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丁稚 | お取方は天満橋で待ちかまへて居られます。
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金之 | 待つて居るとは手ぬるい話 何で川を渡らしたのぢや
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丁稚 | 何であらうが追々と人数は殖えて何百人、火矢をぽんぽん放しますもの、かなふものぢやござりませぬ。
| 金右衛門奥より出づ。 |
金右 | 何ぢや茲へやつて来るとか。
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金之 | こりや何と致しませう。
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金右 | 何とゝいふて仕様がない、大事のものを倉へ入れ、持てるだけ持つて出い。
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銀兵 | ヘイヘイそれ皆片付けた片付けた。
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丁稚 | でも体がふるひます。
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銀兵 | 弱い事をいふないやい。
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丁稚 | あなたもふるふておいでなさる。
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銀兵 | それは風を引いた故。
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金右 | エイかれこれ云はずと早うせい。私は大事の書類と金子を。
| 奥へ入る | 鉄砲の音近づく |
金之 | ヤアそこへ来たと見える。こりやかうしては居られぬわい。
| 門へ出る。 |
向より救民と大書したる旗を先に立て、大筒を人足に引かし、格之助、正一郎、儀左衛門、源右衛門、小筒を持ち、次で天照皇太神としたる旗、大筒――中斎鍬形の兜頭巾、腹巻に黒羽織野袴、手槍を持ち――孝右衛門、忠兵衛、志摩、梶五郎、良左衛門――桐の紋つきたる旗、大筒、済之助、其外大勢、具足櫃葛籠を担ふて――出づ。
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金之 | ヤこれは。
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| 逃込む |
銀兵 | 来ましたな。
| 裏へ逃入る |
金之 | これ待つてくれ待つてくれ。
| 皆逃入る |
格之 | 此家こそ大米屋、
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中斎 | 積みし金銀第一なるべし、倉あけてまきちらせ。
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一同 | ハア――
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| 正一郎、儀左衛門内へ入る、金右衛門手箱をかゝへて奥より出つ。 |
正一 | (捕へて)こりや汝は何者ぢや。
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金右 | ヘイ召使でござります。
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儀左 | 然らば倉へ案内致せ。
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金右 | 倉はあれあれ あれでござります。
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儀左 | あればかりではあるまい、外にも多くあらうがな。
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金右 | 外のはつまらぬ物入でござります。
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正一 | 然らばこれより。
| 倉に入る、金右衛門裏へ逃げ入る。 |
正一 | (出で来り)此倉はつまらぬ物入、彼奴いつはりを申したな。
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中斎 | (内に入り)奥の方をさがして見よ。
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正一 | ハツ、
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| 数人奥に入る、直に金箱、箪笥の引出し、掛物箱、道具箱、など持て出づ。 |
中斎 | それ往来へまきちらせ。
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一同 | ハツ
| 皆蒔く |
中斎 | 貧しき者は取りに来よ、苦しむ者程多く取れ。今まで持ちしは不義の徒ぢや。今こそ救へ世の宝、猶予せば火をかけるぞ。
| 誰も来らず |
エイ、何を恐れる早く来よ、恐るゝ所少しも無し、咎むる者は討取らん。元を正せば貧者の血汐、盗むに非ず戻すのぢや。
| 誰も来らず |
エイ云甲斐なき者共かな、取れと云へばなぜ取らぬ。我声が聞えぬか、我志が分らぬか。灰とならばこればかりか、我志も無となるわい。
| 自ら箱を砕く、金銀財宝まきちらす、遂に誰も来らず。 | 大和守討手をつれて出づ。 |
中斎 | ヤア大和守参つたな。
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大和 | 謀叛人はいづくにある。
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中斎 | 謀叛人とは何事ぢや。汝等こそ正義の叛人、今こそ天罰加へるのぢや。
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大和 | それ者共。
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討手 | ハア。
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| 戦ふ。 | |