Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.15

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大塩の乱関係論文集目次

高安月郊「大塩平八郎」目次


「大 塩 平 八 郎」その15

高安 月郊(1868-1944)

金港堂書籍 1902 より



◇禁転載◇

第五段 其四 川端

***
正面町家、いづれも道具取りちらして遁れ出でたる体、下手四辻、向に火見ゆ。前川、小舟一艘繋であり。
阿蘭陀小児を負ふて走つて出づ、此方より鸚鵡走つて出づ。突当る。
阿蘭ヤ鸚鵡か。
鸚鵡オ阿蘭陀どうぢやお前も焼け出されか。
阿蘭焼けたとも焼けたとも、何もかも丸焼ぢや。残つたものは此奴ばつかり。なさけない目に逢ふたわい。
鸚鵡そしてこれからどこへ行くのぢや。
阿蘭去年別れた女房の所へ、逃げて行くより仕様がない。
鸚鵡わしは独身(ひとりみ)の一物無し、少しは気楽な様なものゝ、行き所がないに困つた。
阿蘭そんなら私と一所に来い。
鸚鵡どうぞ連れて行つてくれ、そして内はどこにある。
阿蘭谷町の一丁目ぢやが、
鸚鵡そんならこつちへ行かにやならぬ。
阿蘭何をいふ、こつちが東ぢや。
鸚鵡そんな事があるものか、今淡路町から逃げて来て、茲が確に西横堀ぢや。
阿蘭嘘をいへ、東ぢや東ぢや
  貧民老たる母親を扶けて走り出づ。
鸚鵡もう一寸伺ひます、こゝは一体どこでござります。
貧民どこぢやとは旅のお方か。
阿蘭いえ北の新地の者でござります。
貧民粋な所に似合ひませぬな、東横堀の平野町でござるがな
鸚鵡それでは矢つ張東堀か、そんなら向へ行かにやならぬ。
貧民あなた方は行き所がござりますな、私等は当も無し、内は焼けて着のみ着のまま。
母親今夜は馬場の松陰で明さうと思ひますが、翌(あす)はどうしやうやら、
貧民お銭(あし)は元より何も無し、泣き出したうござります。
阿蘭イヤ御尤でござります、私も裸で飛出したが、こんな時は皆泣寄り、喧嘩はしたが女房の――
鸚鵡ヤ東へも火が移つた。
阿蘭こりや向へも焼けて来る。ほんに泣きたう
二人   なつたなあ。
  金之助走つて出づ。
鸚鵡オゝ若旦那。
金之誰ぢや誰ぢや。
阿蘭私共でござります。
金之オ好い所ぢや、つれて行つてくれ つれて行つてくれ。
鸚鵡どこへお供致しませう。
金之どこへでも好い、早う早う。
阿蘭私等も迷ふて居ります。どうぞお内の御親類か――
金之オさうぢや南の下屋敷へ逃げて行かう。
鸚鵡そんなら今度はこつちの方。
金之さあ一所に来てくれ来てくれ。
  三人走つて入る
貧民金持は得なもの、こんな時も難義はせぬ。
母親何かにつけて困るのは、貧乏人
二人       ばかりぢやなあ。
  しほしほ行きかける
  次郎七一方の家より出づ。
次郎あこれこれこれを持つて行くが好い。
  金を与ふ
貧民こりや五両、どうしてこれを私に?
次郎それで当分困りやしまい。
母親でも戴く訳がござりませぬ。
次郎いや、やらうと思ふて此企、遠慮せずに取るがよい。
貧民それでは若しや徒党の内?
次郎徒党でも無く、無いでも無い、何であらうと取れといふのに。
貧民どうしてどうして貰へませう。徒党なら跡でたゝり、どんなお咎めあろも知れぬ。
次郎いや徒党では無いといふのに。
母親徒党でなくば何人ぢや、失礼ながら物持とは、どうも見えぬ其風体。
次郎盗人――でもない貧乏人。
貧民貧乏人がどうしてお金を?
次郎貧乏人故貧乏人に、恵むのは相互。
母親それではあなたがお困りなさらう。
次郎私はちつとも困りはせぬ、無くなつたらまた取つて――
二人エ?
次郎いやまたくれる人がある。
貧民何の人がくれませう、今の時節に此騒動。
次郎騒動故やるのぢやわい。
貧民騒動故貰へませぬ。
次郎悪堅い男ぢやなあ。
貧民金はほしいが金よりも、法度がこわう
二人       ござるわいな。
  二人入る
次郎エイ臆病な奴等ぢやわい――しかし誰もあの通り、かういふ時はこわいが第一。折角旦那の仲間入り、したうても許されまいと、よそながらのお味方に、憎くさげな家々へ火をつけてまはつたが、心地好う焼けるばかり、金銀財宝取次がうにも、矢つ張取るのは悪い奴ぢやなあ。
  人の音。次郎七隠る。金右衛門手箱をかゝへて出づ。
金右いやひどい目に逢はしをつた。しかし家庫焼かれても、僅の金で直に立つ。焼いても焼けぬは田地田畑、諸方への貸附金、かういふ内も利が殖える。殊にこれで米の値が、一倍上るに違いない。こりや却つて得ぢやわい。
  次郎七出でゝ金右衛門の手箱を取らんとす。
金右エイ何をするのぢや。
次郎何をとは其箱渡せ。
金右猛々しい其言葉、騒ぎにつけこむ盗人め。
次郎いつもなら盗人ぢやが、今晩は違うのぢや。
金右賊でなくば徒党の片端、どちらにしても同じ曲者。
次郎曲者とは己の事、其箱渡せ焼てやるのぢや。
金右大事の書類渡さうか。
次郎渡さにや命も取つてやるぞ。
金右何を小癪な。
  争ふ。船頭走つて出づ。
金右もしお助け下されませ、追剥でござります。
船頭なに追剥。
  分け入る、次郎七遁れて後の明家に入る。
船頭たうたう逃げて失せをつた。
金右お陰で命を拾ひました。
船頭こんな時は物騒な、ちつとも早うおいでなされ。
金右して騒動は静まりましたか。
船頭やうやう今済みました。
金右それでは頭の大塩も、お討取りになりましたな。
船頭いや討たれたのは浪人、一人、あとは皆逃げました。
金右なに逃げた――それはちと気味が悪いな。
船頭何しろ飛道具を使ふので、お奉行さへ御落馬なされ、
金右なに御落馬――してお命は?
船頭お命に別条はなかつたが、お討たれなされたと心得て、御家来衆は一時逃足。
金右いや頼みにならぬものぢやなあ。
船頭何しろ太平続き故、かすり取りは上手ぢやが、いくさと来ては皆素人、主人も捨てゝ走るのを、返へせ返へせとやつとの事、また討ち出して向のつはもの、梅田とやらを打つたので、たうたう負けて散りました。
金右それはまあ目出たい事、しかしどこへ行たか分りませぬな。
船頭目ざす敵を打ち洩した故、急度も一度やりませう。
金右何の再び出来やうか、またやればとて同じ事ぢや。
  
中斎姿を変へ、顔を包み、格之助掛物箱を持つて出づ。金右衛門見て隠る。
中斎幸 茲に舟がある、それ。
格之船頭はお前か。
船頭ヘイ左様でござります。
格之私等は焼け出されて来たのぢやが、一寸其舟へ乗せてくれ。
船頭どちらまでゝござります。
格之それは跡にて申す故、兎も角も乗せてくれ。
船頭それでも先が分かりませぬと――
中斎(金を攫み出し)これで云分あるまいな。
船頭ヤこりや二両、余りの張込み様。
中斎エイ埒のあかぬ奴、かまはずに乗るが好い。
船頭これまあお待ちなされませ、何やら怪しい此方衆は――
  
内山彦次郎捕手つれて走り来る、金右衛門出でゝさゝやく。
彦次待て。
  
格之助掛物箱より鉄砲を出して放つ、捕手一人倒る。船頭逃入る。金右衛門伏す。彦次郎かゝらうとする、次郎七出でゝ遮る。
次郎旦那お早う、茲かまはず。
中斎オゝ
  
舟に乗る、彦次郎進まうとする、次郎七防ぐ、格之助櫓を使ふて入る。


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