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正面町家、いづれも道具取りちらして遁れ出でたる体、下手四辻、向に火見ゆ。前川、小舟一艘繋であり。
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阿蘭陀 | 小児を負ふて走つて出づ、此方より鸚鵡走つて出づ。突当る。
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阿蘭 | ヤ鸚鵡か。
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鸚鵡 | オ阿蘭陀どうぢやお前も焼け出されか。
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阿蘭 | 焼けたとも焼けたとも、何もかも丸焼ぢや。残つたものは此奴ばつかり。なさけない目に逢ふたわい。
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鸚鵡 | そしてこれからどこへ行くのぢや。
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阿蘭 | 去年別れた女房の所へ、逃げて行くより仕様がない。
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鸚鵡 | わしは独身(ひとりみ)の一物無し、少しは気楽な様なものゝ、行き所がないに困つた。
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阿蘭 | そんなら私と一所に来い。
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鸚鵡 | どうぞ連れて行つてくれ、そして内はどこにある。
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阿蘭 | 谷町の一丁目ぢやが、
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鸚鵡 | そんならこつちへ行かにやならぬ。
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阿蘭 | 何をいふ、こつちが東ぢや。
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鸚鵡 | そんな事があるものか、今淡路町から逃げて来て、茲が確に西横堀ぢや。
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阿蘭 | 嘘をいへ、東ぢや東ぢや
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| 貧民老たる母親を扶けて走り出づ。 |
鸚鵡 | もう一寸伺ひます、こゝは一体どこでござります。
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貧民 | どこぢやとは旅のお方か。
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阿蘭 | いえ北の新地の者でござります。
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貧民 | 粋な所に似合ひませぬな、東横堀の平野町でござるがな
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鸚鵡 | それでは矢つ張東堀か、そんなら向へ行かにやならぬ。
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貧民 | あなた方は行き所がござりますな、私等は当も無し、内は焼けて着のみ着のまま。
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母親 | 今夜は馬場の松陰で明さうと思ひますが、翌(あす)はどうしやうやら、
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貧民 | お銭(あし)は元より何も無し、泣き出したうござります。
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阿蘭 | イヤ御尤でござります、私も裸で飛出したが、こんな時は皆泣寄り、喧嘩はしたが女房の――
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鸚鵡 | ヤ東へも火が移つた。
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阿蘭 | こりや向へも焼けて来る。ほんに泣きたう
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二人 | なつたなあ。
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| 金之助走つて出づ。
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鸚鵡 | オゝ若旦那。
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金之 | 誰ぢや誰ぢや。
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阿蘭 | 私共でござります。
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金之 | オ好い所ぢや、つれて行つてくれ つれて行つてくれ。
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鸚鵡 | どこへお供致しませう。
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金之 | どこへでも好い、早う早う。
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阿蘭 | 私等も迷ふて居ります。どうぞお内の御親類か――
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金之 | オさうぢや南の下屋敷へ逃げて行かう。
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鸚鵡 | そんなら今度はこつちの方。
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金之 | さあ一所に来てくれ来てくれ。
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| 三人走つて入る
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貧民 | 金持は得なもの、こんな時も難義はせぬ。
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母親 | 何かにつけて困るのは、貧乏人
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二人 | ばかりぢやなあ。
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| しほしほ行きかける |
| 次郎七一方の家より出づ。
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次郎 | あこれこれこれを持つて行くが好い。
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| 金を与ふ
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貧民 | こりや五両、どうしてこれを私に?
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次郎 | それで当分困りやしまい。
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母親 | でも戴く訳がござりませぬ。
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次郎 | いや、やらうと思ふて此企、遠慮せずに取るがよい。
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貧民 | それでは若しや徒党の内?
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次郎 | 徒党でも無く、無いでも無い、何であらうと取れといふのに。
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貧民 | どうしてどうして貰へませう。徒党なら跡でたゝり、どんなお咎めあろも知れぬ。
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次郎 | いや徒党では無いといふのに。
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母親 | 徒党でなくば何人ぢや、失礼ながら物持とは、どうも見えぬ其風体。
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次郎 | 盗人――でもない貧乏人。
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貧民 | 貧乏人がどうしてお金を?
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次郎 | 貧乏人故貧乏人に、恵むのは相互。
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母親 | それではあなたがお困りなさらう。
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次郎 | 私はちつとも困りはせぬ、無くなつたらまた取つて――
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二人 | エ?
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次郎 | いやまたくれる人がある。
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貧民 | 何の人がくれませう、今の時節に此騒動。
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次郎 | 騒動故やるのぢやわい。
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貧民 | 騒動故貰へませぬ。
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次郎 | 悪堅い男ぢやなあ。
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貧民 | 金はほしいが金よりも、法度がこわう
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二人 | ござるわいな。
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| 二人入る
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次郎 | エイ臆病な奴等ぢやわい――しかし誰もあの通り、かういふ時はこわいが第一。折角旦那の仲間入り、したうても許されまいと、よそながらのお味方に、憎くさげな家々へ火をつけてまはつたが、心地好う焼けるばかり、金銀財宝取次がうにも、矢つ張取るのは悪い奴ぢやなあ。
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| 人の音。次郎七隠る。金右衛門手箱をかゝへて出づ。
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金右 | いやひどい目に逢はしをつた。しかし家庫焼かれても、僅の金で直に立つ。焼いても焼けぬは田地田畑、諸方への貸附金、かういふ内も利が殖える。殊にこれで米の値が、一倍上るに違いない。こりや却つて得ぢやわい。
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| 次郎七出でゝ金右衛門の手箱を取らんとす。
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金右 | エイ何をするのぢや。
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次郎 | 何をとは其箱渡せ。
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金右 | 猛々しい其言葉、騒ぎにつけこむ盗人め。
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次郎 | いつもなら盗人ぢやが、今晩は違うのぢや。
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金右 | 賊でなくば徒党の片端、どちらにしても同じ曲者。
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次郎 | 曲者とは己の事、其箱渡せ焼てやるのぢや。
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金右 | 大事の書類渡さうか。
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次郎 | 渡さにや命も取つてやるぞ。
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金右 | 何を小癪な。
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| 争ふ。船頭走つて出づ。
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金右 | もしお助け下されませ、追剥でござります。
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船頭 | なに追剥。
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| 分け入る、次郎七遁れて後の明家に入る。
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船頭 | たうたう逃げて失せをつた。
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金右 | お陰で命を拾ひました。
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船頭 | こんな時は物騒な、ちつとも早うおいでなされ。
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金右 | して騒動は静まりましたか。
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船頭 | やうやう今済みました。
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金右 | それでは頭の大塩も、お討取りになりましたな。
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船頭 | いや討たれたのは浪人、一人、あとは皆逃げました。
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金右 | なに逃げた――それはちと気味が悪いな。
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船頭 | 何しろ飛道具を使ふので、お奉行さへ御落馬なされ、
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金右 | なに御落馬――してお命は?
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船頭 | お命に別条はなかつたが、お討たれなされたと心得て、御家来衆は一時逃足。
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金右 | いや頼みにならぬものぢやなあ。
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船頭 | 何しろ太平続き故、かすり取りは上手ぢやが、いくさと来ては皆素人、主人も捨てゝ走るのを、返へせ返へせとやつとの事、また討ち出して向のつはもの、梅田とやらを打つたので、たうたう負けて散りました。
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金右 | それはまあ目出たい事、しかしどこへ行たか分りませぬな。
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船頭 | 目ざす敵を打ち洩した故、急度も一度やりませう。
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金右 | 何の再び出来やうか、またやればとて同じ事ぢや。
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中斎姿を変へ、顔を包み、格之助掛物箱を持つて出づ。金右衛門見て隠る。 |
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中斎 | 幸 茲に舟がある、それ。
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格之 | 船頭はお前か。
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船頭 | ヘイ左様でござります。
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格之 | 私等は焼け出されて来たのぢやが、一寸其舟へ乗せてくれ。
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船頭 | どちらまでゝござります。
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格之 | それは跡にて申す故、兎も角も乗せてくれ。
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船頭 | それでも先が分かりませぬと――
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中斎 | (金を攫み出し)これで云分あるまいな。
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船頭 | ヤこりや二両、余りの張込み様。
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中斎 | エイ埒のあかぬ奴、かまはずに乗るが好い。
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船頭 | これまあお待ちなされませ、何やら怪しい此方衆は――
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| 内山彦次郎捕手つれて走り来る、金右衛門出でゝさゝやく。 |
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彦次 | 待て。
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| 格之助掛物箱より鉄砲を出して放つ、捕手一人倒る。船頭逃入る。金右衛門伏す。彦次郎かゝらうとする、次郎七出でゝ遮る。 |
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次郎 | 旦那お早う、茲かまはず。
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中斎 | オゝ
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| 舟に乗る、彦次郎進まうとする、次郎七防ぐ、格之助櫓を使ふて入る。 |
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