Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.17

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高安月郊「大塩平八郎」目次


「大 塩 平 八 郎」その17

高安 月郊(1868-1944)

金港堂書籍 1902 より



◇禁転載◇

第六段 其二 会所

***
正面板壁、上手障子にて仕切り、下手に入口あり、外に辻行燈あり。内山彦次郎上手に坐し、同心八人、四ケ者二人、町年寄下手に控ゆ。
彦次どうぢや、まだ手がゝりは無いかな。
四一東堀から舟に乗り、天満橋の下に一日隠れ、また四つ橋から上りまして、大和街道を亀が背峠、越えたまでは知れましたが、
四二山番を一太刀あびせ、それから先は行方知れず。何しろ此筋の者でござります故、中々むつかしうござります。
四一しかし以前私等をひどい目に逢はしました、意趣返しにと申合せ、骨を折つて居りまする。
四二何でも跡へ引返し、此大阪の市中に、隠れ、笑ふて居るのでござりませう。
彦次拙者も若しやと思ふた故、今美好屋を呼びにやつた。
年寄もう参るでござりませう。
  五人組先に立ち五郎兵衛出づ。
五人召連れましてござります。
彦次美好屋五郎兵衛とは其方か。
五郎ヘイ左様でござります。
彦次其方大塩平八郎へはいつ頃から出入致す。
五郎ヘイヘイ、イヤ何も隠す事はござりませぬ、大塩様へはつい近年お出入を致します。
彦次していかなる所から出入する事になつたな。
五郎それは娘を御奉公に上げました所から、折ふしお出入致します。
彦次それでは今度の企を急度聞たであらうな。
五郎いやそれは少しも存じませぬ。
一同こりや隠すと為にならぬぞ。
五郎何のお隠し申しませう。また私の様な物も知らず、力もない者に打明けて、話のある筈がござりませうか。
彦次然らばそれは知らぬにして、今親子を其方の内にかくまひ居らうがな。
五郎何、かくまふ、めつさうなお尋ね者、夢にも覚えはござりませぬ。
年寄これ五郎兵衛殿、覚えがあるなら仕方がない、有躰に云はつしやれ。
組一隠しても知れた日には、
組二こなたは獄門、
組三お内儀は遠島、
組四     私等までお咎うける、
組五こんな迷惑な事はない。
同一殊に私等が睨んだら、蛇に巻かれた小鳥同様、
同二飛ぶにも羽は動かぬぞ。
彦次きりきり白状してしまへ。
  次郎七出づ、門外より立聞する。
五郎ハゝゝゝ イヤ私こそ迷惑千万、いかに出入すればとて、私風情を頼みに来る大塩でもござりますまい。又火元の此大阪、厳しい中へ帰つて来る、そんな者もござりませぬ。これは東か西国か、唐天竺でござりませう、そこらをお探しなされませ。
彦次こいつ中々しぶとい奴、拷問する覚悟せい。
五郎拷問なと獄門なと、御勝手になされませ。一旦死た此躰、地獄と思や何ともござらぬ。
彦次エイ其口を――
  立上る
年寄まあお待ちなされませ。何につけ片意地者、一応ではまゐりますまい。これは私共にお預け下され、また家内をお調べがよさゝうにござります。
彦次然らばけふは下げてやらう。急度町内へ預けたぞ。
五人ヘイヘイ 確におあづかり申しましてござります。
彦次(四ケ者に)其方共も今一度此あたりを探して見い。
四一かしこまりましてござります。
四二隅から隅まで嗅ぎまはり、急度だす故あわてるな。
五郎それは御苦労でござります。
年寄これ入らぬ事は云はぬものぢや。
  次郎七うなづき急いで入る。


高安月郊「大塩平八郎」目次その1(登場人物)/その16その18

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