Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.18

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大塩の乱関係論文集目次

高安月郊「大塩平八郎」目次


「大 塩 平 八 郎」その18

高安 月郊(1868-1944)

金港堂書籍 1902 より



◇禁転載◇

第六段 其三 美好屋 店

***
正面襖、間に奥へ入る口あり、暖簾をかく。前板間、色壷三四、上手に裏へ出る口あり、下手に門口あり。職人二人手を束ねて居る。
何と仁助、親方も此頃は急にむつかしうなられたなあ。
さればぢやわい。私の内も焼けた故、泊めて貰はふと思ふたら、さうはならぬとけんもほろゝ
聞けばいつぞや大塩に助られたといふ事ぢやが、それで心配してか知らん。
心配したら物も食へぬに、此頃の飯の焚き様、いつもより仰山な此米の高いのに、一躰ありや何であらう。
あぢな所へ目をつけるな。よもや施行ぢやあるまいし、家内とて同じ人数。
お稲荷様でも移つて来たのか。
  五郎兵衛帰り来る
五郎エイやかましい何を云ふ、此時節にうかうかと、無駄口きいて隙潰すか。
ヘイヘイ、いや遊では居りませぬ。
手は動かして居りまする。
五郎物を云へば手が鈍る、そんな事で役に立つかい。
これは御免なされませ。
五郎いゝやならぬ堪忍ならぬ、けふ限りことわつた。
二人エイ。
五郎これから直にいんでくれ。
これはえらいお腹立ち。
どうぞ御勘弁なされませ。
五郎ならぬならぬ、堪忍ならぬ、とつとゝいんだいんだいんだ。
これはきつい火の手ぢやなあ。
  女房つね出づ。
つねこれはいつにない腹の立て様、まあ堪忍してやらんせいなあ。
五郎いゝやならぬ、どうあつてもいなさにやならぬ訳がある。
つね何訳とは?
五郎さあ訳は役に立たぬ故ぢや。
  目くばせする
つね成程これはいなさにやならぬ。ほんに気の毒でござんすが、まあ暫く帰つて下され。其内世間が好うなつたら、また来て貰ひますわいなあ。
世間が悪うござります故、お頼み申すのでござります。
もう無駄口はきゝませぬ。どうぞお使ひ下さりませ。
五郎エイひつこい、ならぬと云ふに。
こりや大筒ぢや、
かなはぬ かなはぬ
  二人走つて入る
つね少しの事を種にして、皆を断はりなされたのは、奥の為でござりますか。
五郎さうぢや始から断はらうと思ふたが、却つて疑起さうかと、待て居れば飯の焚き様、かぎつけた様子故、わざと怒つていなしたが、こりや油断は出来ぬわい。
つねそして会所の様子はえ?
五郎色々と尋ねられたが、知らぬ知らぬで通して来た、もう茲も危ないわい、今夜の中にお落し申さう。
つねして路用はござりますか。
五郎路用は娘のあの身の代、死でも売らぬと思ふたが、斯うつまつては是非が無い。しかも大事のお胤を宿し、色香を業の遊び女に、汚さぬ様とは無理の無理。
つねそして若し間に合はず、今にも茲へ捕方が、
五郎来たら覚悟は極めて居る。水を逃れた私ばかりか、世間の為め今度の事、御恩返しはお居間の口、大の字なりに往生ぢや。
  みね手拭にて顔を隠し走つて出づ。
みね(内に駈入り)とゝさん逢はして下さんせいなあ。
五郎逢はしてとはそりや誰に?
みねエイ気の無い格之助様ぢやわいなあ。
五郎格之助様はお立ちなされた。
みねなにお立ち、それはいつでござんすえ。
五郎つい今先の事。
みね嘘々嘘ぢや、此昼中、何でお立ちなさんせう。
五郎いや昼中でも大胆に、わざとお立ちなされたのぢや。
みねかゝさん本間でござんすか。
つねさあ本間やら、嘘ぢやゝら。
みねこりや嘘ぢや嘘ぢや嘘ぢや、エイとゝさんも何ぢやいなあ、なぜ逢はして下さんせぬ。
五郎エイお立ちなされたと云ふに。
みねそんなら奥をさがしますぞえ。
五郎ヤイ何ぬかす、おのれまで。
みねそれおいでゞござんせうがな。
つねもしこちの人、他人でない娘の事――
五郎さ娘の事故尚ぢやわい。
みねそりやまたなぜでござんすえ?
五郎これおみね、わりや唯の躰ぢやないぞ、其お腹には大事のお胤、いや大事の孫を宿して居る。それを世に立てやうと思や、もう逢ふ事はならぬぞよ。
みねでも現在あなたのお胤。
五郎さ、あなたの胤故胤にはせられぬ。茲をよう考へてな、逢ひたうても、まう逢ふな。
みね一寸だけで好いわいなあ。
五郎エイまだ云ふかい、そればかりでは無い、こちの内に居ても悪い、早ういんでまう来るな。みね エイ?
五郎此五郎兵衛はな、畳の上で死ねばとて、死骸は高い木の空へ、上げられるに極まつた。
みねエイ
五郎したがそなたにまでかゝるまい、早う行け行け。
みねいえいえ私は行かれませぬ。
つね行かれぬとはそりやなぜに?
みねあの大米屋の金之助、未だに心残るかして、不図座敷へ呼ばれたら、いやな事を云ひかけて、
つねエイ!
みね迯げても迯げても根強う、親方に話して、身受をすると云ひますわいなあ。
つねこりや困つた事ぢやなあ。
みね私はいなぬつもりでござんす。
五郎あゝまた一つ詰つて来た。
みねそれ故一寸お目にかゝり、御相談がしたいわいなあ。
五郎相談しても何の詮、こりや絶躰絶命ぢや。よし、これから直に逃げて行け。
みね逃げいとはそりやどこへ?
五郎どこへとて当はない。
つねそして路用はござんすか。
五郎こつちの路用も足らぬ所、娘にまでやられぬわい。
つねまあどうしたら好からうなあ。
五郎エイ乞食せい、乞食してくれ。
みね乞食するは厭ひませぬが、それでは早う見付けられましょ。
五郎見付けられたら死ぬまでぢや、いやいや死なれぬ、滅多に死ぬな。そちばかりぢやない大事の躰。エイ取られるのかい、やるのかい、現在敵に渡すのかい。
  泣く
みねエイようござんす、私も覚悟きめました。逃げられる丈は逃げませう。つかまへられたらどうなりと、必ず此身は汚しませぬ。よう云ふて下さりませ。そんなら逢はずに行きますぞえ。父様母様、これがお別れでござんすかいなあ。
  すがり附て泣く
五郎(涙を払ふて)いヤ泣いて居る所ぢやない、ちつとも早う茲を出い。其風では人目に立つ、前の着物を出してやれ。
つねハイハイそれこれと着替へて行きや。 (常の衣服を出して着替へさす) 必ず必ずわづらやんな。
五郎困りぬいても必ず死ぬな。
みね何の死にましょ、が若し死だら堪忍して――
五郎エイ弱い事云ふないやい。
みねそんなら活きて居りまする、其代りどこぞでは、も一度逢はして下さんせいなあ。
  門へ出る、茶屋の若い者二人向より来る。
若者それ見つけた茲ぢや茲ぢや
みねもう追手が――
五郎エイ
  
飛で出る、又内へ入つて戸を閉ぢ、柱に取付て目を閉づ、つね悶える、みね争ふ、遂に捕へられて振りかへりながら入る。
つねなぜ手出しをなさらぬのぢや。
五郎手出しをしたら私も巻きぞへ、見す見す娘を取られたわい。
つねこれが辛抱出来やうか。
  門をあける、次郎七飛込で奥へ行かうとする。
五郎(遮ぎり)こりや此人はどこへ行く。
次郎一寸旦那に逢はして下され。
五郎旦那とは誰の事、私が茲の主人でござる。
いや大塩の旦那のお目に――
五郎そんな人は内に無い、どこぞ余所をお尋ねなされ。
次郎いや私に隠す事はない、旦那もよう御存じの――
五郎何であらうがござらぬもの、とつとゝ外へ出たり出たり
次郎いやそりやいかぬ、四ケ者よりはまた一倍、蛇の道知つた此隼、盗人の次郎七ぢやと取次で下されい
五郎盗人なら焼跡か、新立の家を探しなされ、こゝらを掘ても金にはならぬ。
次郎金は此方から出しまする、此方なら受けてもよからう、路用のたしにして下され。
  金包を投出す
つねヤこれは。
次郎それより早う旦那に逢うて――
  行きかける
五郎(止めて)どこへどこへ 躰を変へて探索しても、茲の内には誰も無い、無駄をせずと帰つた帰つた
次郎まだ疑うて隠すのか、それなら私は徒党の一人ぢや。
五郎盗人は徒党に無い。
次郎エイもうかれこれ云はずと逢はして下され。
  推して通らうとする。
五郎こりやもういつそ――
  刀を抜いて斬り付ける
次郎エイ何をするのぢや。
  争ふ、次郎七一刀斬らる、五郎兵衛尚も斬りかける。
次郎こりや待て待て、待てくれ。
五郎かうなつたら破れかぶれ、何といふても殺してしまう。
次郎殺されるはかまはぬが、其前に逢はしてくれ。
五郎まだ抜かす其口を――
  刀をふり上げる
次郎疑深い男ぢやなあ――そんなら此方を頼で置く、私は旦那に代りに来たのぢや。
五郎何と。
次郎所詮遁れぬこなたの内、今晩にも取囲み、踏込むに違いない、といふて早う落しても、詮議厳しい六十余州、どこまで逃げて行かれるものか。それより此方は白状して、わざと茲へ案内し、それを相図に火をつけたら、誰が何やら黒くすぼり、烟の中に旦那を落し、私が代つて死だとて、よもやそれとは分るまい。これで一先づ落着さし、網をはづさす私の考へ。
五郎そりやまた本気で云はしやるのか。
次郎かうなつて嘘をつかうか。
つねそれでは矢つ張一味であつたか。
次郎一味でもなく弟子でもないが、旦那の心は呑込で、よそながら―甲斐も無い、盗人は矢つ張盗人、其盗人で果てやうより、せめて旦那のお身代り、人間らしい死様したら、罪の端も消えやうかと、命を置きに来た次郎七、いつぞや塾へ閉込めて、教へてやらうとおつしやつたが、お講釈は聞かいでも、ちつとは訳が分つたつもり、これでもまだ曲つて居るか、跡でよく聞て下され、出かしたとおつしやつたら、それが何より回向でござる。
五郎免して下され次郎七殿、其心とは思ひもよらず、先生大事と斬りつけて――
次郎重手負ふても負はいでも、どうせ死に来た躰、そんな事はどうでも好い。それより早う旦那を落す、
五郎さうぢや支度を致しませう。此方も一寸お逢ひなされ。
次郎それでは案内して下され。
五郎さあ確と私の肩へ――
  彦次郎同心大勢つれ入る。
彦次御用ぢや。
五郎(次郎七を掩ふて)こりや何となされます。
彦次何とゝは横道者、お尋ねの大塩親子、案の如くかくまひながら、先刻はよう抜けたな。最早かなはぬ案内致せ。
五郎また大塩のお尋ねか、知らぬ事はいつまでも――
彦次まだ申すか、雇人より略々(ほゞ)知れたわ。それ者共、
同心ハア
  奥へ行きかける
五郎(止めて)これまあお待ちなされませ。火打箱の様な此内でも、私は主人、覚えのない事に踏みにぢられては、ちと顔が立ちませぬ。まあゆつくりと私の云ふ事―
彦次エイ隙入らば取逃さん、こやつから引くゝれ。
同心ハア、
   かゝる
五郎イヤさう無法に出られては、お上とて恐れはせぬ。さあ通るなら通つて見さんせ。
  奥の口に大手を広げて立つ。
彦次それ。
  
同心かゝる、五郎兵衛争ふ、つね次郎七を扶けて奥へ入らうとする、彦次郎押へる。


高安月郊「大塩平八郎」目次その1(登場人物)/その17その19

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