高安 月郊(1868-1944) 金港堂書籍 1902 より
*** | 正面襖、間に奥へ入る口あり、暖簾をかく。前板間、色壷三四、上手に裏へ出る口あり、下手に門口あり。職人二人手を束ねて居る。 | ||
一 | 何と仁助、親方も此頃は急にむつかしうなられたなあ。 | ||
二 | さればぢやわい。私の内も焼けた故、泊めて貰はふと思ふたら、さうはならぬとけんもほろゝ | ||
一 | 聞けばいつぞや大塩に助られたといふ事ぢやが、それで心配してか知らん。 | ||
二 | 心配したら物も食へぬに、此頃の飯の焚き様、いつもより仰山な此米の高いのに、一躰ありや何であらう。 | ||
一 | あぢな所へ目をつけるな。よもや施行ぢやあるまいし、家内とて同じ人数。 | ||
二 | お稲荷様でも移つて来たのか。 | ||
五郎兵衛帰り来る | |||
五郎 | エイやかましい何を云ふ、此時節にうかうかと、無駄口きいて隙潰すか。 | ||
一 | ヘイヘイ、いや遊では居りませぬ。 | ||
二 | 手は動かして居りまする。 | ||
五郎 | 物を云へば手が鈍る、そんな事で役に立つかい。 | ||
一 | これは御免なされませ。 | ||
五郎 | いゝやならぬ堪忍ならぬ、けふ限りことわつた。 | ||
二人 | エイ。 | ||
五郎 | これから直にいんでくれ。 | ||
一 | これはえらいお腹立ち。 | ||
二 | どうぞ御勘弁なされませ。 | ||
五郎 | ならぬならぬ、堪忍ならぬ、とつとゝいんだいんだいんだ。 | ||
一 | これはきつい火の手ぢやなあ。 | ||
女房つね出づ。 | |||
つね | これはいつにない腹の立て様、まあ堪忍してやらんせいなあ。 | ||
五郎 | いゝやならぬ、どうあつてもいなさにやならぬ訳がある。 | ||
つね | 何訳とは? | ||
五郎 | さあ訳は役に立たぬ故ぢや。 | ||
目くばせする | |||
つね | 成程これはいなさにやならぬ。ほんに気の毒でござんすが、まあ暫く帰つて下され。其内世間が好うなつたら、また来て貰ひますわいなあ。 | ||
一 | 世間が悪うござります故、お頼み申すのでござります。 | ||
二 | もう無駄口はきゝませぬ。どうぞお使ひ下さりませ。 | ||
五郎 | エイひつこい、ならぬと云ふに。 | ||
一 | こりや大筒ぢや、 | ||
二 | かなはぬ かなはぬ | ||
二人走つて入る | |||
つね | 少しの事を種にして、皆を断はりなされたのは、奥の為でござりますか。 | ||
五郎 | さうぢや始から断はらうと思ふたが、却つて疑起さうかと、待て居れば飯の焚き様、かぎつけた様子故、わざと怒つていなしたが、こりや油断は出来ぬわい。 | ||
つね | そして会所の様子はえ? | ||
五郎 | 色々と尋ねられたが、知らぬ知らぬで通して来た、もう茲も危ないわい、今夜の中にお落し申さう。 | ||
つね | して路用はござりますか。 | ||
五郎 | 路用は娘のあの身の代、死でも売らぬと思ふたが、斯うつまつては是非が無い。しかも大事のお胤を宿し、色香を業の遊び女に、汚さぬ様とは無理の無理。 | ||
つね | そして若し間に合はず、今にも茲へ捕方が、 | ||
五郎 | 来たら覚悟は極めて居る。水を逃れた私ばかりか、世間の為め今度の事、御恩返しはお居間の口、大の字なりに往生ぢや。 | ||
みね手拭にて顔を隠し走つて出づ。 | |||
みね | (内に駈入り)とゝさん逢はして下さんせいなあ。 | ||
五郎 | 逢はしてとはそりや誰に? | ||
みね | エイ気の無い格之助様ぢやわいなあ。 | ||
五郎 | 格之助様はお立ちなされた。 | ||
みね | なにお立ち、それはいつでござんすえ。 | ||
五郎 | つい今先の事。 | ||
みね | 嘘々嘘ぢや、此昼中、何でお立ちなさんせう。 | ||
五郎 | いや昼中でも大胆に、わざとお立ちなされたのぢや。 | ||
みね | かゝさん本間でござんすか。 | ||
つね | さあ本間やら、嘘ぢやゝら。 | ||
みね | こりや嘘ぢや嘘ぢや嘘ぢや、エイとゝさんも何ぢやいなあ、なぜ逢はして下さんせぬ。 | ||
五郎 | エイお立ちなされたと云ふに。 | ||
みね | そんなら奥をさがしますぞえ。 | ||
五郎 | ヤイ何ぬかす、おのれまで。 | ||
みね | それおいでゞござんせうがな。 | ||
つね | もしこちの人、他人でない娘の事―― | ||
五郎 | さ娘の事故尚ぢやわい。 | ||
みね | そりやまたなぜでござんすえ? | ||
五郎 | これおみね、わりや唯の躰ぢやないぞ、其お腹には大事のお胤、いや大事の孫を宿して居る。それを世に立てやうと思や、もう逢ふ事はならぬぞよ。 | ||
みね | でも現在あなたのお胤。 | ||
五郎 | さ、あなたの胤故胤にはせられぬ。茲をよう考へてな、逢ひたうても、まう逢ふな。 | ||
みね | 一寸だけで好いわいなあ。 | ||
五郎 | エイまだ云ふかい、そればかりでは無い、こちの内に居ても悪い、早ういんでまう来るな。みね エイ? | ||
五郎 | 此五郎兵衛はな、畳の上で死ねばとて、死骸は高い木の空へ、上げられるに極まつた。 | ||
みね | エイ | ||
五郎 | したがそなたにまでかゝるまい、早う行け行け。 | ||
みね | いえいえ私は行かれませぬ。 | ||
つね | 行かれぬとはそりやなぜに? | ||
みね | あの大米屋の金之助、未だに心残るかして、不図座敷へ呼ばれたら、いやな事を云ひかけて、 | ||
つね | エイ! | ||
みね | 迯げても迯げても根強う、親方に話して、身受をすると云ひますわいなあ。 | ||
つね | こりや困つた事ぢやなあ。 | ||
みね | 私はいなぬつもりでござんす。 | ||
五郎 | あゝまた一つ詰つて来た。 | ||
みね | それ故一寸お目にかゝり、御相談がしたいわいなあ。 | ||
五郎 | 相談しても何の詮、こりや絶躰絶命ぢや。よし、これから直に逃げて行け。 | ||
みね | 逃げいとはそりやどこへ? | ||
五郎 | どこへとて当はない。 | ||
つね | そして路用はござんすか。 | ||
五郎 | こつちの路用も足らぬ所、娘にまでやられぬわい。 | ||
つね | まあどうしたら好からうなあ。 | ||
五郎 | エイ乞食せい、乞食してくれ。 | ||
みね | 乞食するは厭ひませぬが、それでは早う見付けられましょ。 | ||
五郎 | 見付けられたら死ぬまでぢや、いやいや死なれぬ、滅多に死ぬな。そちばかりぢやない大事の躰。エイ取られるのかい、やるのかい、現在敵に渡すのかい。 | ||
泣く | |||
みね | エイようござんす、私も覚悟きめました。逃げられる丈は逃げませう。つかまへられたらどうなりと、必ず此身は汚しませぬ。よう云ふて下さりませ。そんなら逢はずに行きますぞえ。父様母様、これがお別れでござんすかいなあ。 | ||
すがり附て泣く | |||
五郎 | (涙を払ふて)いヤ泣いて居る所ぢやない、ちつとも早う茲を出い。其風では人目に立つ、前の着物を出してやれ。 | ||
つね | ハイハイそれこれと着替へて行きや。 (常の衣服を出して着替へさす) 必ず必ずわづらやんな。 | ||
五郎 | 困りぬいても必ず死ぬな。 | ||
みね | 何の死にましょ、が若し死だら堪忍して―― | ||
五郎 | エイ弱い事云ふないやい。 | ||
みね | そんなら活きて居りまする、其代りどこぞでは、も一度逢はして下さんせいなあ。 | ||
門へ出る、茶屋の若い者二人向より来る。 | |||
若者 | それ見つけた茲ぢや茲ぢや | ||
みね | もう追手が―― | ||
五郎 | エイ | ||
| |||
つね | なぜ手出しをなさらぬのぢや。 | ||
五郎 | 手出しをしたら私も巻きぞへ、見す見す娘を取られたわい。 | ||
つね | これが辛抱出来やうか。 | ||
門をあける、次郎七飛込で奥へ行かうとする。 | |||
五郎 | (遮ぎり)こりや此人はどこへ行く。 | ||
次郎 | 一寸旦那に逢はして下され。 | ||
五郎 | 旦那とは誰の事、私が茲の主人でござる。 | ||
いや大塩の旦那のお目に―― | |||
五郎 | そんな人は内に無い、どこぞ余所をお尋ねなされ。 | ||
次郎 | いや私に隠す事はない、旦那もよう御存じの―― | ||
五郎 | 何であらうがござらぬもの、とつとゝ外へ出たり出たり | ||
次郎 | いやそりやいかぬ、四ケ者よりはまた一倍、蛇の道知つた此隼、盗人の次郎七ぢやと取次で下されい | ||
五郎 | 盗人なら焼跡か、新立の家を探しなされ、こゝらを掘ても金にはならぬ。 | ||
次郎 | 金は此方から出しまする、此方なら受けてもよからう、路用のたしにして下され。 | ||
金包を投出す | |||
つね | ヤこれは。 | ||
次郎 | それより早う旦那に逢うて―― | ||
行きかける | |||
五郎 | (止めて)どこへどこへ 躰を変へて探索しても、茲の内には誰も無い、無駄をせずと帰つた帰つた | ||
次郎 | まだ疑うて隠すのか、それなら私は徒党の一人ぢや。 | ||
五郎 | 盗人は徒党に無い。 | ||
次郎 | エイもうかれこれ云はずと逢はして下され。 | ||
推して通らうとする。 | |||
五郎 | こりやもういつそ―― | ||
刀を抜いて斬り付ける | |||
次郎 | エイ何をするのぢや。 | ||
争ふ、次郎七一刀斬らる、五郎兵衛尚も斬りかける。 | |||
次郎 | こりや待て待て、待てくれ。 | ||
五郎 | かうなつたら破れかぶれ、何といふても殺してしまう。 | ||
次郎 | 殺されるはかまはぬが、其前に逢はしてくれ。 | ||
五郎 | まだ抜かす其口を―― | ||
刀をふり上げる | |||
次郎 | 疑深い男ぢやなあ――そんなら此方を頼で置く、私は旦那に代りに来たのぢや。 | ||
五郎 | 何と。 | ||
次郎 | 所詮遁れぬこなたの内、今晩にも取囲み、踏込むに違いない、といふて早う落しても、詮議厳しい六十余州、どこまで逃げて行かれるものか。それより此方は白状して、わざと茲へ案内し、それを相図に火をつけたら、誰が何やら黒くすぼり、烟の中に旦那を落し、私が代つて死だとて、よもやそれとは分るまい。これで一先づ落着さし、網をはづさす私の考へ。 | ||
五郎 | そりやまた本気で云はしやるのか。 | ||
次郎 | かうなつて嘘をつかうか。 | ||
つね | それでは矢つ張一味であつたか。 | ||
次郎 | 一味でもなく弟子でもないが、旦那の心は呑込で、よそながら―甲斐も無い、盗人は矢つ張盗人、其盗人で果てやうより、せめて旦那のお身代り、人間らしい死様したら、罪の端も消えやうかと、命を置きに来た次郎七、いつぞや塾へ閉込めて、教へてやらうとおつしやつたが、お講釈は聞かいでも、ちつとは訳が分つたつもり、これでもまだ曲つて居るか、跡でよく聞て下され、出かしたとおつしやつたら、それが何より回向でござる。 | ||
五郎 | 免して下され次郎七殿、其心とは思ひもよらず、先生大事と斬りつけて―― | ||
次郎 | 重手負ふても負はいでも、どうせ死に来た躰、そんな事はどうでも好い。それより早う旦那を落す、 | ||
五郎 | さうぢや支度を致しませう。此方も一寸お逢ひなされ。 | ||
次郎 | それでは案内して下され。 | ||
五郎 | さあ確と私の肩へ―― | ||
彦次郎同心大勢つれ入る。 | |||
彦次 | 御用ぢや。 | ||
五郎 | (次郎七を掩ふて)こりや何となされます。 | ||
彦次 | 何とゝは横道者、お尋ねの大塩親子、案の如くかくまひながら、先刻はよう抜けたな。最早かなはぬ案内致せ。 | ||
五郎 | また大塩のお尋ねか、知らぬ事はいつまでも―― | ||
彦次 | まだ申すか、雇人より略々(ほゞ)知れたわ。それ者共、 | ||
同心 | ハア | ||
奥へ行きかける | |||
五郎 | (止めて)これまあお待ちなされませ。火打箱の様な此内でも、私は主人、覚えのない事に踏みにぢられては、ちと顔が立ちませぬ。まあゆつくりと私の云ふ事― | ||
彦次 | エイ隙入らば取逃さん、こやつから引くゝれ。 | ||
同心 | ハア、 | ||
かゝる | |||
五郎 | イヤさう無法に出られては、お上とて恐れはせぬ。さあ通るなら通つて見さんせ。 | ||
奥の口に大手を広げて立つ。 | |||
彦次 | それ。 | ||
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