高安 月郊(1868-1944) 金港堂書籍 1902 より
*** | 正面左右襖立切り、前一段低く式台あり、其下庭下手に門あり。外は塀、仲間二人庭を掃除す。 |
一 | 何と厭な世の中になつたぢやないか。 |
二 | さればぢやわい。地震大風長雨に、時疫とはよう揃ふた。 |
一 | いかに不作といひながら、一両に三斗とは生れてから今が始。 |
二 | これでは飢饉も其筈ぢや。 |
一 | 此間東海道を通つて来た人の話に、道々死人が五六人、死にかゝつて居るのは何人と、数へる事も出来なんだと。 |
二 | おれも見た谷町で、現在溝へこけこんだ。 |
一 | ひもじいと云ふ声をけさも聞たが情無い。 |
二 | 祭所(まつりどころ)ぢやあるまいに、けふ練物を持つて来るとは。 |
一 | それは殿様の思召し、今歳止めたら来年から、重ねてならぬとおつしやる故ぢや。何しろ我等に損はなし、見る丈徳ぢやあるまいか。 |
二 | それもさうぢや泣言より、まんざら悪うもないものぢや。 |
囃子の音 | |
一 | あれあれ向へやつて来た。 |
二 | それではお知らせしやうかい。 |
二人入る。
大塩格之助。続て大米屋金之助出づ。顔を身合はす。格之助わざと後になる。金之助門に入る。 | |
金之 | お願ひ申します。 |
玄六出づ。 | |
玄六 | オ 大米屋さん。 |
金之 | 一寸お目通りを願ひます。 |
玄六 | かしこまりました。 |
入ろうとする | |
格之 | (門に入り)アイヤ暫く、拙者もお目にかゝりたうござる。 |
玄六 | ヤこれは――イヤ御他行でござります。 |
格之 | 今此仁にお取次なさる所ぢやござらぬか。 |
玄六 | ヤそれは。 |
格之 | 私ならぬ天下の大事、是非々々お目にかゝらにやならぬ。 |
玄六 | ハ――イ。 |
入る 又囃子の音 | |
二人 | あの音は? |
練物出づ。幇間鸚鵡、阿蘭陀先に立ち、芸子四人花やかなる衣裳をつけ、仲居団扇を持つて附添ひ、其跡より屋台を引き、中に囃子方揃ひの衣裳、花笠をかぶり、太鼓三味線笛などはやしながら来る | |
鸚鵡 | (門に入り)ヘイヘイ例年の通り、練物でござります。 |
玄六出づ | |
玄六 | 唯今御出坐なさるゝぞ。 |
一同 | ヘーイ。 |
阿蘭 | (金之助を見て)オ若旦那ではござりませぬか。 |
金之 | オ 阿蘭陀、其外皆知つた顔、妙な所で |
一同 | お目にかゝります。 |
金之 | イヤこれは好い所ぢや。茶屋の前で見るのと違ひ、お奉行様のお玄関先、其積りでやるであらう。 |
芸子 | もう気が張つてなりませぬ。 |
金之 | 図らず私もお相伴、好い話の種ぢやわい。 |
門辺大和守 家来従へ出づ。 | |
玄六 | それ謹で相勤めい。 |
鸚鵡 | ヘイヘイかしこまりましてござります。さあさあ始めた。 |
阿蘭 | 始めた始めた |
歌
お蔭まゐりは茲へもござれ。天神様に生玉や、坐摩や御霊(ごりやう)の神々の、神輿かたげてよいよいよい汗になるとも、よいとやあ。 君のお蔭は何より先に、お礼まゐりに波もさそふて芦辺の風もざヾんざ、扇の風もざヾんざ、国もゆたかに民もさかえて、御代のさかりはまん中々、よいよいよい、よいよいやさあ。 | |
芸子四人踊る | |
幇間 | ヘイお目出とう。 |
大和 | 大義。 |
奥へ入る | |
金之 | お蔭で私も好いなぐさみ。そんなら裏から、イヤ出直すと致しませう。 |
玄六 | さうさうそれが好うござる。 |
鸚鵡 | 私共も下らしていたヾきます。 |
玄六 | 御苦労御苦労 |
阿蘭 | (金之助に)さあ先づお出でなされませい。 |
金之 | いや練物の先へ行けるものかい。 |
一同 | ワハゝゝゝゝゝゝ |
金之助帰る振して門を出で裏へまはる。練物は向へ入る、玄六も内へ入ろうとする。 | |
格之 | アイヤ暫く、お取次き下されい。 |
玄六 | まだお帰りなされぬか。 |
格之 | 是非共御面会致したうござる。 |
玄六 | イヤ殿様には御用繁多。 |
格之 | 練物を見るお隙がござれば、天下の大事お聞きある隙のない理はござるまい。 |
玄六 | それも御用の一つでござる。 |
格之 | 然らば拙者の申す事―― |
玄六 | それは畢竟私用でござるわ。 |
格之 | 天下の大事と申するに。 |
玄六 | 大事なら書面にて―― |
格之 | 書面は度々差出し申した。然るに何の御答無き故、けふは直々御面談。 |
玄六 | それなればお待ちなされ。其内お返事あるでござらう。 |
格之 | イヤ待つて居られぬ日毎の餓死。 |
玄六 | 拙者も甚多用でござるわ。 |
入る | |
格之 | (跡を睨みて)不礼極まるあしらひぢやなあ。 |