Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.31訂正
2000.4.28

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大塩の乱関係論文集目次

高安月郊「大塩平八郎」目次


「大 塩 平 八 郎」その5

高安 月郊(1868-1944)

金港堂書籍 1902 より



◇禁転載◇

第二段  其二 同書院

***
上手に床、民可使由之不可使知之と大書したる掛物をかけ、前に卓、しし獅子の香炉を載す、横に違棚あり、此方襖。

  大和守書簡を見て居る。

大和 イヤ矢部殿も案外ぢや。容易ならぬ奉行職、心得振を尋ねたに、唯一人の与力の隠居平八郎のあつかひ方、心添へとは片腹痛い。悍馬(あらうま)にもせよ、虎にもせよ、此大和には腕がある。それしきの事問ひはせぬ。名程にもなき駿州の、跡を受けたるしるしには、彼は固より与力同心、指の先に使ふて見しよう。三奉行も不自由な江戸より遠き此大阪、憚る者無き町奉行、存分切つて廻してくれうか。
  微笑す。
  玄六出づ。
玄六申上げます、大米屋金之助殿、裏門よりまゐられましてござりま(する)
大和フム、これへ通せ。
玄六ハツ。
  入る、直に金之助を案内して出て、自分は入る。
大和オ 大米屋の子息、先刻は人目もあり、わざと言葉をかけなんだ。
金之私も御遠慮を致して控へて居りましたが、中々動き相にもござりませぬ故、帰る振を致しまして、お裏門から這入りました。
大和して御親父はな。
金之父が参る筈でござりますが、少々差支へがござります故、私から申上げます。いよいよ今歳も不作の上、西国のお大名方へ用立てました金高が、いつもより多分でござります故、入津米もござりませぬ。唯此上はお囲米、あれは如何なされます、御内意の所をお伺ひ申します。
大和江戸へ丈は送らにやならぬが、市中の所は我一存、どうでもなる事ぢやて。
金之(金包を出し)これは暑さのお見舞まで、軽少ながら差上げます。
大和(手に取り見て)これは毎度気の毒ぢやな。イヤ市中はおろか京へでも、一粒とてやりはせぬ、若し内々で買ひに来たら――さうぢや召取つて入牢さゝう。
金之それで安心致しました。お蔭で大分儲かります、
大和どうぢや けふの相場はな。
金之二百匁でござります。
大和大分面白うなつて来たな。
  玄六急いで出づ。
玄六申上げます申上げます
大和何事ぢやあわたゞしい。
玄六参りました参りました
大和参つたとは そりや誰が。
玄六大塩が参りましてござりまする。
大和追返せと云ふたぢやないか。
玄六格之助ではござりませぬ、平八郎でござりまする。
大和なに平八郎――平八郎とて同じ事、逢はぬと云へば決して逢はぬ。
玄六それでも中々聞入れませぬ。
大和聞かぬとは何事ぢや、茲はいづくと思ひをる。
玄六どこであらうが聞きませぬ。常でさえ剛い髮、逆立つて額に青筋、かれこれ申せば蹴飛ばして上り相でござります。
大和イヤ言語道断、よし逢ふてやらう、逢ふて直々圧へてくれるわ。
金之それでは私はあちらにて。
大和さうぢや 暫く待つて居られよ。
金之後程お目にかゝります。
大和(黙礼して)それ平八をこれへ呼べ。
玄六かしこまりましてござります。
  二人入る。

直に中斎、羽織袴、刀おつとり、急ぎ足にて出づ。顔見合して互に無言。

中斎(暫くして)イヤなにお奉行、格之助を以て此程より再三の建議、御一覧なされたか。
大和何か長々と書立てたが、一通りは目を通した。
中斎何故お答へなされぬな。
大和答ふるまでも無き事故。
中斎答ふるまでも無き事とは、何を何とお読みなされた。
大和何とゝは字の通り。
中斎読で御解得なされてな。
大和知れた事。
中斎イヤこりや御解得無いと見ゆる.
大和解得せぬとは不礼であらうぞ。
中斎御解得あらばお答へある筈、お答へなきは御解得無き故、こりや改めて申上げん、よつくお聞き下さるべし。四海困窮なす時は天禄長く終るといふ、古人の戒今茲に、年々の不作、あまつさへ地震大風、悪疫まで流行なし、米価の高直(こうじき)古今比無し。饑る者数知れず、勿躰無くも禁裏まで、乏しくゐらせ給ふ由。何故お救ひなされぬな。
大和そりや我方寸にある事ぢや。
中斎然らば御意見伺ひたい。
大和云へばとて詮無い事。
中斎イヤ是非々々御意見伺ひたい。いかなる御案あるかは知らねど、お囲米を打開き、一方には市中の奸商、価を貪り押隠すを、出さすより外ござるまい。
大和お囲米は非常の為、殊に来春は将軍家にもご隠居なされ、御代替る上からは、御物入は知れた事、それに唯今倉開かは、忽ち後の御役料、御合力米に差支へん。
中斎イヤ非常の為なら唯今こそ、非常の時ではござらぬか。将軍家の御代替り、そは太平の時の事、禁裡さへ御不自由をよそにして何将軍、四民の嘆き聞きながら、知らず顔して何奉行、きのふも饑死せし者ござる、今も路に倒れし者あり。一日措けば一日と、まさる四海の苦を何故お救ひなされぬな。
大和エイ其方の指図は受けぬわ。
中斎お指図は致しませぬ。見過し難き天下の大事、申上げるが務でござる。
大和 其方は隠居でないか。入らざる差出ぢや控へて居れ。
中斎お役こそ退きたれ、心まで隠れは致さぬ。四民の病は我身も同然、唯一人の苦さへ余所にせられぬ我心、まして天下の苦を、退て見られませうや。
大和それも天災なれば是非が無いわい。
中斎天災なれば人力にて防ぐこそ道でござる。
大和力及ばねばそれまでぢや。
中斎及ばぬ事がござろうや。断じて為さば鬼神も避くべし。天にかこつけ事為さぬは、卑怯でござろう惰弱ござろう。
大和なんと。
中斎よしまた勇気無きにもせよ、心無き者ござるまい、惻隠の心無きは人に非ず、お奉行にはこたへませぬか。
大和だまれ無礼ぢや控へて居れ。
中斎いゝや控へて居られませぬ、高きも遠きも憂は一つ、聖賢の道聞かれずとも、是非の心にお尋ねなされ、
大和だまれ だまれ だまれ だまれ 聖賢の道聞かずとは、此大和守を侮るな。
中斎イヤ誠を申すに言葉は飾らず。
大和言語道断 下れ下れ
中斎すりや かほど申しても?
大和物にはそれぞれ道がある。筋違ひの其方等、何を云ふとも聞く間はないわい。
中斎聞かれずばこれまでぢや。しかし此儘止みは致さぬ。これより外に工夫なし、是非共救助せにやならぬ。
大和何となと勝手に致せ、しかし此方へはもうまゐるな。
中斎無論でござる。
  席を蹴立てゝ入る
大和(跡を見送り)憎むべき奴ぢやわい。
  金之助そと襖を開きて出づ。
金之お奉行様――
大和アこれ――密(ひそか)に密に


高安月郊「大塩平八郎」目次その1(登場人物)/その4その6

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