高安 月郊(1868-1944) 金港堂書籍 1902 より
*** | 正面大床、三幅対の画をかけ、前に卓を置く、其上に香炉、花瓶あり。横の違棚には手鑑、食篭、銅瓶、半鐘、撞木、拂子(ほっす)、文台に硯箱、一方に台子茶具を備ふ。前庭、築山あり、泉水あり、石灯篭、錦井戸、手水鉢抔いづれも珍奇なるものばかり。倉屋重兵衛、銭屋多兵衛、太田屋徳右衛門、栄屋利右衛門、皆大家の檀那の風、下手に主人金右衛門坐す。会席料理にて酒宴の躰。初夜。 |
重兵 | 扨々(さてさて)見事な此御普請、申分はござりませぬな。 |
多兵 | それにお道具が何から何まで、第一お床の三幅対、龍虎に観音は誰の筆でござります。 |
金右 | 牧渓でござります。 |
徳右 | えらいものがお手に入りましたな。 |
金右 | 京の去る歴々から、内々お払ひになりまして、五六日前手に入りました。 |
利右 | それにあの蓬莱の香炉はお珍らしいものでござります。 |
金右 | あれは明代の出来とやら、長崎から取りよせました。 |
重右 | あの釜は大分変つて居りますな。 |
金右 | あれは紹鴎が用ひられたものでござります。 |
多兵 | 此茶椀は聚楽焼、失礼ながら三百金、以上お出しなされましたか。 |
金右 | 五百金で求めました。 |
徳右 | なに五百金!これは恐れ入りました。 |
金右 | 秀吉公が北野の茶の湯に、お使ひなされたものでござります。 |
利右 | それでは五百金でも千金でも、お厭ひはござりますまい。承はれば西の新田、とうとうお手に入りましたとやら。 |
重右 | それは結構、何しろ今度のお奉行は訳の分つたお方故、お互に好い都合。 |
金右 | いや分らぬ人でも金次第、訳もない事でござります。そんな俗な話より、今度は京から取りよせました鴨川の水を煮て、 |
多兵 | なに鴨川の? |
金右 | 鴨川もずつと上手、人気のない所を撰びました。 |
徳兵 | それは何より |
四人 | 御馳走でござります。 |
金之助出づ。 | |
金之 | 唯今帰りましてござります。 |
金右 | 忰か、してお奉行のお返事は。 |
金之 | お奉行様は好い都合、万事お見込通りでござります。 |
金右 | それなれば跡でゆるゆる、そちもお相伴をするが好い。 |
重兵 | さあさあこちらへ。 |
金之 | どなたも御免下さりませ。 |
銀兵衛出づ、 | |
銀兵 | 旦那様へ申上げます。大塩平八郎様が見えましてござります。 |
金右 | なに大塩―― |
金之 | エイ茲(ここ)へやつてうせたか。 |
金右 | そなたどこぞで蓬ふたのか。 |
金之 | 今お奉行様のお邸で無法な事を申しました、ありや気違ひ、早ういなしておしまひなされ。 |
金右 | さうぢや遂に逢ふた事もなし、殊にけふは客来なり、躰よう云ふてことわるが好い。 |
銀兵 | いえいえ是非共旦那様や皆様もおいでなら、尚御一所にお目にかゝると、坐り込で居られます。 |
重兵 | なんぢや我々にまで逢はふとは、 |
多兵 | 気味の悪い人ぢやなあ。 |
徳右 | 何は然れ今は隠居、 |
利右 | かれこれ云ふ身分で無し、 |
金右 | さうぢや兎に角逢ひませう。まあ此へ通すがよい。 |
銀兵 | かしこまりました。 |
入る | |
金之 | しかし御用心なされませ。何をいふかも知れませぬ。 |
銀兵衛案内、中斎出づ。 | |
金右 | さあ先つ此方へお通り下され。 |
中斎 | 御免。(上座につく)始めて御意得申す、拙者 大塩平八郎。 |
金右 | 私は主人金右衛門。 |
重兵 | 私は倉屋重兵衛。 |
多兵 | 銭屋多兵衛。 |
徳右 | 太田屋徳右衛門。 |
利右 | 栄屋利右衛門。 |
金右 | これなるは忰金之助でござります。 |
中斎 | それはお揃ひにて尚重疂。かく俄に参りましたは、折入つて御相談致したい義がござつて。 |
金右 | なに相談と |
五人 | おつしやるは。 |
中斎 | さればでござる。方々にも御承知の近年の不作天変。方々こそ不足無く、かく酒宴に暮さるれど、一足外へ出て見られよ。餓る者倒るゝ者、我から身を投げ死するもあり。我手に救ふも一人ならねど、兎ても届かぬ諸人の困窮、依て方々に相談致す。何とぞ拙者に応分の金子を貸しては下さらぬか。 |
金右 | なに金子を |
五人 | 貸せいとな。 |
中斎 | されば――拙者とて富まぬ身の産を傾け出せばとて、何の益にもなりませねば方々に借用なし、これを集めて窮民に施し分けなば幾分か、当時の難を救はるべし。さればとて徒に借用致す訳ならず、拙者の家禄を抵当に差出す所存でござる。何と聞ては下されぬか。 |
金右 | これは何とも御即答致し難き大事のお話。先づ兎も角もお帰り下され、ゆるゆる跡にて相談致し、 |
中斎 | いや御思案までもない。日毎に迫る世の困窮、人間ならば救はにやならぬ、まして溢るゝ家倉の富貴の身には尚更ぢや。 |
金右 | それは承まはるまでもなく、よく分つて居りますが、何分大事のお話故。 |
中斎 | 大事とは金が大事か、世の困窮こそ何よりの大事ではござらぬか。 |
金右 | それは、 |
中斎 | まして方々の此富貴、こりや我力にて得られしか。 |
五人 | エイ? |
中斎 | 幸運の蔭、政事向、請負用達、株相場、利を専にせらるゝ故、利はおのづから利を生で、坐(ゐ)ながらにして此驕奢。 |
五人 | 何と。 |
中斎 | 少しく其身を顧みて、不運の者を救はずは、天の責がござるぞよ。 |
五人 | エイ |
中斎 | それとも知らぬと云はるゝか。 |
五人 | それは。 |
中斎 | 奉行所との間柄、公に調べて見やうか。 |
五人 | それは。 |
中斎 | 飢饉に附込み米相場、貪る者はあるまいか。 |
五人 | それは。 |
中斎 | けふの酒宴も貧者の涙か。 |
五人 | エ。 |
中斎 | よもや否とは云はれまい。 |
金右 | イヤそれでは晩までお待ち下され、直様相談致しませう。 |
重兵 | ほんにそれそれ夕方までには相談きめ、お宅までお返事を、なあ皆様。 |
多兵 | 左様々々申し上るで |
五人 | ござります。 |
中斎 | 然らば晩まで相待ち申す、急度お返事下されい。 |
金右 | 確に承知致しました。 |
中斎 | 拙者はこれより知辺(しるべ)をまはり、同志の者をかたらはん、各々にもそれぞれに、此義をお伝え下されい。 |
四人 | かしこまりましてござります。 |
中斎 | 然らばお返事相待ち申す。 |
立つ | |
金右 | (金之助に)それお見送り。 |
金之 | ハツ |
中斎を送りて入る | |
重兵 | 扨えらい事を云ふて来られた。 |
多兵 | 返事の仕様に困りましたなあ。 |
徳右 | 何は然れ皆様にはどれだけお出しなされます。 |
利右 | どれだけにもこれだけにも、先づお出しなされますか。 |
重兵 | さそこが第一御相談ぢや。 |
金之助出づ。 | |
金之 | いえ先程もあんな事で、お奉行様と大論判―― |
金右 | なにお奉行と大論判? |
金之 | つまりはねつけられましたわいな |
金右 | フム――奉行さへお用ひなきに、私の此救助、こりやあの人の名聞(みやうもん)か。よし真心からするにもせよ、お奉行の御意に背き、跡でお叱りあるかも知れず、兎に角これは伺ひませう。 |
重兵 | ほんにさうぢや、こりやお奉行へ内々で、伺ふて見るが |
二人 | 第一でござりますな。 |
徳右 | しかしそれでは隙(ひま)取る話。 |
金右 | いや今始まつた事でもござらぬ、貧乏人は昔から、庭の蟻よりうぢうぢと、なやむも皆自業自得、働きさへすりや食へぬといふ訳は少しも無い筈ぢや、或は自堕落其身の愚鈍、今となつて騒いでも、我等の知つた事ではなし、折角の此茶の湯、味が悪うなりました。 |
隼の次郎七 金箱をかゝへて石灯篭の陰より出づ、あたりを見て箱を井戸の端に置き、そと座敷へ上りて香炉茶椀など取り、また箱もかゝへて 冷笑して入る。 | |
金之 | ほんに左様でござります。それにあの大塩は親子とも高慢な、人に金を借りに来て、むかつく様に当言いふとは、顔を見ても腹が立つ、あんな者に一文でも貸してやる訳はござりませぬ。 |
重兵 | さう云はるれば、 |
四人 | それもさうぢや。 |
金右 | そんな事は鴨川の水に流して、今一椀、どれ松風を、聴きませうか。 |
金之 | ヤお茶椀がござりませぬ。 |
金右 | 今そこへ置ておいたが。 |
重兵 | オゝあのお香炉も見えませぬ。 |
金右 | どうもせぬのにどこへ行たやら不思議な事があるものぢやなあ。 |
銀兵衛あわたゞしく出づ。 | |
銀兵 | 旦那様盗人が這入りましてござります。 |
金右 | なんぢや盗人、 |
銀兵 | お取込をつけ込で、いつの間にやら忍び入り、千両箱を取りました。 |
皆 | エイ。 |
金右 | それでは茶椀も香炉も、 |
金之 | 同じ奴が持つて行たか。 |
金右 | イヤどこから這入つてうせたのぢや。 |
銀兵 | 今になつて思ひますと、表から這入つて来て、奥蔵からこゝまでも、思ふまゝに盗み取り、また表へ出たのでござりませう。 |
重兵 | ても大胆な |
四人 | 其仕方。 |
金右 | いや盗人が表から這入つて来るのを知らぬといふ、たはけた奴があるものか。油断も油断も大油断ぢや。 |
銀兵 | これは恐入りました。 |
金右 | 恐入つたで済まぬわい。金子は元よりあの茶椀、容易に手に入るものと思ふか。 |
金之 | それにあの香炉は、大阪中さがしても、似た者ものでもござりますまい。 |
重兵 | よう掛物をはづしませなんだ。 |
金右 | それまで取られてたまるものか。 |
多兵 | かう大勢揃ひながら。 |
銀兵 | それも御油断でござりますな。 |
金右 | エイあの大塩の来た間か。 |
金之 | 忌々しい事ぢやなあ。 |
立上る、釜につまづいて落す、烟立つ。 | |
皆 | ヤこれは。 |
金右 | エイ粗相すな、灰だらけぢやわい。 |