Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.31訂正
2000.4.29

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大塩の乱関係論文集目次

高安月郊「大塩平八郎」目次


「大 塩 平 八 郎」その6

高安 月郊(1868-1944)

金港堂書籍 1902 より



◇禁転載◇

第二段  其三 大米屋奥座敷

   
***
正面大床、三幅対の画をかけ、前に卓を置く、其上に香炉、花瓶あり。横の違棚には手鑑、食篭、銅瓶、半鐘、撞木、拂子(ほっす)、文台に硯箱、一方に台子茶具を備ふ。前庭、築山あり、泉水あり、石灯篭、錦井戸、手水鉢抔いづれも珍奇なるものばかり。倉屋重兵衛、銭屋多兵衛、太田屋徳右衛門、栄屋利右衛門、皆大家の檀那の風、下手に主人金右衛門坐す。会席料理にて酒宴の躰。初夜。
重兵扨々(さてさて)見事な此御普請、申分はござりませぬな。
多兵それにお道具が何から何まで、第一お床の三幅対、龍虎に観音は誰の筆でござります。
金右牧渓でござります。
徳右えらいものがお手に入りましたな。
金右京の去る歴々から、内々お払ひになりまして、五六日前手に入りました。
利右それにあの蓬莱の香炉はお珍らしいものでござります。
金右あれは明代の出来とやら、長崎から取りよせました。
重右あの釜は大分変つて居りますな。
金右あれは紹鴎が用ひられたものでござります。
多兵此茶椀は聚楽焼、失礼ながら三百金、以上お出しなされましたか。
金右五百金で求めました。
徳右なに五百金!これは恐れ入りました。
金右秀吉公が北野の茶の湯に、お使ひなされたものでござります。
利右それでは五百金でも千金でも、お厭ひはござりますまい。承はれば西の新田、とうとうお手に入りましたとやら。
重右それは結構、何しろ今度のお奉行は訳の分つたお方故、お互に好い都合。
金右いや分らぬ人でも金次第、訳もない事でござります。そんな俗な話より、今度は京から取りよせました鴨川の水を煮て、
多兵なに鴨川の?
金右鴨川もずつと上手、人気のない所を撰びました。
徳兵それは何より
四人       御馳走でござります。
  金之助出づ。
金之唯今帰りましてござります。
金右忰か、してお奉行のお返事は。
金之お奉行様は好い都合、万事お見込通りでござります。
金右それなれば跡でゆるゆる、そちもお相伴をするが好い。
重兵さあさあこちらへ。
金之どなたも御免下さりませ。
  銀兵衛出づ、
銀兵旦那様へ申上げます。大塩平八郎様が見えましてござります。
金右なに大塩――
金之エイ茲(ここ)へやつてうせたか。
金右そなたどこぞで蓬ふたのか。
金之今お奉行様のお邸で無法な事を申しました、ありや気違ひ、早ういなしておしまひなされ。
金右さうぢや遂に逢ふた事もなし、殊にけふは客来なり、躰よう云ふてことわるが好い。
銀兵いえいえ是非共旦那様や皆様もおいでなら、尚御一所にお目にかゝると、坐り込で居られます。
重兵なんぢや我々にまで逢はふとは、
多兵気味の悪い人ぢやなあ。
徳右何は然れ今は隠居、
利右かれこれ云ふ身分で無し、
金右さうぢや兎に角逢ひませう。まあ此へ通すがよい。
銀兵かしこまりました。
  入る
金之しかし御用心なされませ。何をいふかも知れませぬ。
  銀兵衛案内、中斎出づ。
金右さあ先つ此方へお通り下され。
中斎御免。(上座につく)始めて御意得申す、拙者 大塩平八郎。
金右私は主人金右衛門。
重兵私は倉屋重兵衛。
多兵銭屋多兵衛。
徳右太田屋徳右衛門。
利右栄屋利右衛門。
金右これなるは忰金之助でござります。
中斎それはお揃ひにて尚重疂。かく俄に参りましたは、折入つて御相談致したい義がござつて。
金右なに相談と
五人      おつしやるは。
中斎さればでござる。方々にも御承知の近年の不作天変。方々こそ不足無く、かく酒宴に暮さるれど、一足外へ出て見られよ。餓る者倒るゝ者、我から身を投げ死するもあり。我手に救ふも一人ならねど、兎ても届かぬ諸人の困窮、依て方々に相談致す。何とぞ拙者に応分の金子を貸しては下さらぬか。
金右なに金子を
五人     貸せいとな。
中斎されば――拙者とて富まぬ身の産を傾け出せばとて、何の益にもなりませねば方々に借用なし、これを集めて窮民に施し分けなば幾分か、当時の難を救はるべし。さればとて徒に借用致す訳ならず、拙者の家禄を抵当に差出す所存でござる。何と聞ては下されぬか。
金右これは何とも御即答致し難き大事のお話。先づ兎も角もお帰り下され、ゆるゆる跡にて相談致し、
中斎いや御思案までもない。日毎に迫る世の困窮、人間ならば救はにやならぬ、まして溢るゝ家倉の富貴の身には尚更ぢや。
金右それは承まはるまでもなく、よく分つて居りますが、何分大事のお話故。
中斎大事とは金が大事か、世の困窮こそ何よりの大事ではござらぬか。
金右それは、
中斎まして方々の此富貴、こりや我力にて得られしか。
五人エイ?
中斎幸運の蔭、政事向、請負用達、株相場、利を専にせらるゝ故、利はおのづから利を生で、坐(ゐ)ながらにして此驕奢。
五人何と。
中斎少しく其身を顧みて、不運の者を救はずは、天の責がござるぞよ。
五人エイ
中斎それとも知らぬと云はるゝか。
五人それは。
中斎奉行所との間柄、公に調べて見やうか。
五人それは。
中斎飢饉に附込み米相場、貪る者はあるまいか。
五人それは。
中斎けふの酒宴も貧者の涙か。
五人エ。
中斎よもや否とは云はれまい。
金右イヤそれでは晩までお待ち下され、直様相談致しませう。
重兵ほんにそれそれ夕方までには相談きめ、お宅までお返事を、なあ皆様。
多兵左様々々申し上るで
五人         ござります。
中斎然らば晩まで相待ち申す、急度お返事下されい。
金右確に承知致しました。
中斎拙者はこれより知辺(しるべ)をまはり、同志の者をかたらはん、各々にもそれぞれに、此義をお伝え下されい。
四人かしこまりましてござります。
中斎然らばお返事相待ち申す。
  立つ
金右(金之助に)それお見送り。
金之ハツ
  中斎を送りて入る
重兵扨えらい事を云ふて来られた。
多兵返事の仕様に困りましたなあ。
徳右何は然れ皆様にはどれだけお出しなされます。
利右どれだけにもこれだけにも、先づお出しなされますか。
重兵さそこが第一御相談ぢや。
  金之助出づ。
金之 いえ先程もあんな事で、お奉行様と大論判――
金右なにお奉行と大論判?
金之つまりはねつけられましたわいな
金右フム――奉行さへお用ひなきに、私の此救助、こりやあの人の名聞(みやうもん)か。よし真心からするにもせよ、お奉行の御意に背き、跡でお叱りあるかも知れず、兎に角これは伺ひませう。
重兵ほんにさうぢや、こりやお奉行へ内々で、伺ふて見るが
二人第一でござりますな。
徳右しかしそれでは隙(ひま)取る話。
金右いや今始まつた事でもござらぬ、貧乏人は昔から、庭の蟻よりうぢうぢと、なやむも皆自業自得、働きさへすりや食へぬといふ訳は少しも無い筈ぢや、或は自堕落其身の愚鈍、今となつて騒いでも、我等の知つた事ではなし、折角の此茶の湯、味が悪うなりました。
隼の次郎七 金箱をかゝへて石灯篭の陰より出づ、あたりを見て箱を井戸の端に置き、そと座敷へ上りて香炉茶椀など取り、また箱もかゝへて 冷笑して入る。
金之ほんに左様でござります。それにあの大塩は親子とも高慢な、人に金を借りに来て、むかつく様に当言いふとは、顔を見ても腹が立つ、あんな者に一文でも貸してやる訳はござりませぬ。
重兵さう云はるれば、
四人それもさうぢや。
金右そんな事は鴨川の水に流して、今一椀、どれ松風を、聴きませうか。
金之ヤお茶椀がござりませぬ。
金右今そこへ置ておいたが。
重兵オゝあのお香炉も見えませぬ。
金右どうもせぬのにどこへ行たやら不思議な事があるものぢやなあ。
  銀兵衛あわたゞしく出づ。
銀兵旦那様盗人が這入りましてござります。
金右なんぢや盗人、
銀兵お取込をつけ込で、いつの間にやら忍び入り、千両箱を取りました。
エイ。
金右それでは茶椀も香炉も、
金之同じ奴が持つて行たか。
金右イヤどこから這入つてうせたのぢや。
銀兵今になつて思ひますと、表から這入つて来て、奥蔵からこゝまでも、思ふまゝに盗み取り、また表へ出たのでござりませう。
重兵ても大胆な
四人     其仕方。
金右いや盗人が表から這入つて来るのを知らぬといふ、たはけた奴があるものか。油断も油断も大油断ぢや。
銀兵これは恐入りました。
金右恐入つたで済まぬわい。金子は元よりあの茶椀、容易に手に入るものと思ふか。
金之それにあの香炉は、大阪中さがしても、似た者ものでもござりますまい。
重兵よう掛物をはづしませなんだ。
金右それまで取られてたまるものか。
多兵かう大勢揃ひながら。
銀兵それも御油断でござりますな。
金右エイあの大塩の来た間か。
金之忌々しい事ぢやなあ。
  立上る、釜につまづいて落す、烟立つ。
皆 ヤこれは。
金右エイ粗相すな、灰だらけぢやわい。


高安月郊「大塩平八郎」目次その1(登場人物)/その5その7

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