Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.4.30

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大塩の乱関係論文集目次

高安月郊「大塩平八郎」目次


「大 塩 平 八 郎」その7

高安 月郊(1868-1944)

金港堂書籍 1902 より



◇禁転載◇

第三段  其一 洗心洞 塾

***
正面の壁に日課を掲示す、
    毎暁 卯上刻 収枕席、読新理書、読終退而 読其書十過、然後 読旧理書十簡、習書 而後 写字、而後 誦詩、酉中刻 就寝。
上手に学堂へ通ふ廊下あり、下手玄関本箱机を並べ、書生四人並で居る。

一生(朗吟す)
    兵可用酒可飲
    海内何州当此品
    屠販豪侠堕地異
    腹貯五洲水【水念】々(しんしん)
二生これ君、止め給へ止め給へ まだ日課も済まぬ内、大きな声で詩を吟するとは、打たれるのを覚悟ぢやな。
一生なに打たれる訳はない。僕はけさから伝習録三巻共通読した。
三生嘘を云へ嘘を云へ 十行一目に読だとて、さう早くしまへるものか。
一生それは君等とは違うわい。飽くまで腹に這入つて居るから本をあけいでも読む所が、取りも直さず知行合一。
四生ハゝゝゝ例の駄洒落に閉口々々
一生それに今の摂州の歌は、先生の無二の知己、三十六峰外史の作ぢや、よし先生に聞えたとて、立腹せらるゝ筈はない。
二生ほんに山陽先生も惜しい事に無くなられた。内の先生も取りあへず、三本木へかけつけられたが、僅の事で間に合はず、落胆して帰られた、それからの塞ぎ様、
三生いやありや そればかりぢやない。昨今の飢饉の事で、お奉行へ建議せられたが、少しも用ひられぬ故、それで思案をせられるのぢや。
四生また今のお奉行は前のと違ひ無能の人物、先づ近年では矢部駿州、其前の高井山城。
二生高井の時分は先生も、殊の外用ひられ、兵庫から大阪中、事実支配をなされたが、功成り名遂げ身退き、尚世を思ふ御赤心。
三生聞けば大米屋始め金持へ、金を借りに行かれし由。
四生それで分つた 下女下男を皆いなしておしまひなされ、奥様が飯焚に、先生の自身庭掃除。これでは僕等も見て居られぬ、何なとせにやならぬでないか。
一生君は川流を汲め我は薪を拾はんか。
二生いやてんごぢやない本間の事ぢや。柄に応じて役を割らう。先づ僕は玄関から、座敷の方を引受ける。
三生それでは僕は学堂掛、塾は君の役目ぢやぞ。
四生いや僕はお使役、豆腐屋でも八百屋でも、菓子屋最得意の所、君は定めて酒屋であらう。
一生いや僕は唯飲む役ぢや、(又朗吟)
    酒可飲 兵可用
    海内何州当此品
瀬田済之助、庄司儀左衛門、平山助次郎、大井正一郎 いづれも羽織袴、外より入り来る。
二生これはこれは お揃ひにて。
済之先生はな?
三生書斎においでヾござります。
儀左一寸お取次き下されい。
四生かしこまりました。
正一いやなに方々、承はれは先生には、此度下部(しもべ)をお出しなされ、薪水の労を御自身になさるゝと云ふ事ぢやが、其通りでござるかな。
一生左様でござります、今も我々まで役割をきめる最中、
儀左恐れ入つたる御はからひ、感涙を催し申す。
助次いや日頃の御気象では其筈でござらうか。
済之して金子は調ひましたか。>
三生詳しうは存じませぬが、どうやらまだらしうござりまする。
儀左なにまだ?
正一いやべんべんと何隙(ひま)取り、一日とて猶予せられぬ、市中の様子は益(ますます)逼迫。
済之こりや早うお目にかゝりたいものぢやわい。
  格之助奥より出づ。
格之これは方々、父は唯今陽明先生を祭るとて、其文章を起草の半(なかば)、先づこなたへお通り下され。
儀左なに陽明先生をお祭りとな。
格之されば、学ある者は気力無く、気力ある者は学無き中に、先生独り学あり気あり。賊を討ち世を開き、行(かう)を尊び知を明(あきらか)にし、聖賢にしてまた豪傑。憾むらくは響絶え、我邦にては唯一筋、一斎翁すら心のみ、口には憚る腑甲斐なさ。恰も迫る昨今の危急に愈々感激なし、不朽の英霊祭り申す。
儀左何さまこれは適切ぢやなあ。
  宇津木矩之丞、若党友蔵つれ旅装束にて出づ。
友蔵(玄関にて)頼まう。
一生どーれ。
  出る
矩之宇津木矩之丞でござる。
一生はあ(此方へ来りて)宇津木矩之丞殿が見えました。
済之何宇津木、
儀左めづらしい矩之丞殿、
格之早々これへ通すがよい。
一生ハツ(玄関へ出でゝ)お通りなされ。
矩之御免。(草鞋を解きて上り)ヤこれはいづれもお揃ひにて、
格之先々御無事、
五人     重疂々々
矩之して先生には?
格之父も恰も在宿致せば、いざ此方へ、いづれもにも。
矩之然らば方々、
済之いや先づお先きへ、
矩之御免下され。
  皆上手へ入る


高安月郊「大塩平八郎」目次その1(登場人物)/その6その8

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