Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.8.17

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「大塩の乱関係論文集」目次


医学上より観たる大塩中斎

その4

田中香涯

『現代社会の種々相』日本精神医学会 1924 所収

◇禁転載◇

医学上より観たる大塩中斎(4)管理人註
   

 さて彼の挙兵の暴挙に就いてはこれ迄いろ/\の説があるが、その中 にもこんな説がある。曰く大塩が一揆的暴動を起したのは、全く社会主 義を実行するがためであつて、姦悪なる富豪を膺懲すると共に、その不 義の財を奪ひ取つてこれを窮民に分与するためである。曰く王室の式微 を慨するの余り、率先して幕府の顛覆を企て、勤王の魁をなす心より起 つたのであると。しかしこのやうな説は全く当時の事情を解せず、且つ 中斎その人の性格をも顧みざる揣摩憶測牽強附会の説である。成程彼が 暴挙の激文の中には『天子は足利家以来、御隠居同様、賞罰の柄を御失 ひに付、下民の怨何方へ告げ訴ふる方なき様に乱れ云々』といひ、『驕 りに長じ居候大阪市中金持の町人共を誅戮に及び可申候間、右の者共の 穴蔵に貯へ置き候金銀、諸蔵屋敷内に隠置候俵米、それ/゛\分散配当 致し遣はし候間、(中略)難渋の者へは右金米等取らせ遣はし云々』と いひ、『中興神武帝御政道の通り、寛仁大度の取扱にいたし、年来驕奢 放逸の風俗を一洗相改め、四海万民いつ迄も天恩を難有存じ云々』とあ るから、上記の如き説も出たのであらう。しかし彼が兵を挙げた時は、 人の知るが如く、大御所家斉の治世で、幕威は猶ほ依然として全盛を極 めてゐた時はであるから、区々たる与力上りの身で、大胆軽率にも兵を 挙げ。幕軍に抗せんとするが如きは、恰も蟷螂の斧を揮つて龍車に当ら んとするのと同様、一敗地に塗ることは始めから分り切つたことで、彼 の如き頭脳の鋭利なる者に、このやうな道理が分らぬ筈がない。また彼 が暴挙に与したものは僅か二十余人位のもので、その他は彼の恩恵に預 つた農民に過ぎない。総勢二百人をも超えざる烏合の衆で、どうして天 下の大勢を左右することが出来よう。淡路町の一戦で、脆くも敗北した のは実に当然の話である。松浦静山の『甲子夜話』に、大塩の暴挙を評 して『世上の態、我気に容らぬことに触れて、本性の疳癪が起りしなら ん』といへるは、蓋し当らずとも遠からざる観察である。また彼が姦商 を誅伐して、その富を分配すべきことを公言したのに徴して、社会主義 実行の目的に出たもののやうに思ふのは、その皮相のみを観た早計の見 方である。私の観る所を以てすれば、彼の暴挙は感情に激し易い性向か ら、饑饉に苦しむ四民の境遇を知らぬ顔に栄華の夢を貪ぼれる富豪や、 救恤の誠意なき町奉行の有様を見て憤慨に堪へず、遂に前後の思慮分別 をも忘れ、天に代つて是等の富豪を滅ぼし姦吏を誅して、鬱憤を晴らし 呉れんと衝動的に思ひ立つた結果である。『甲子夜話』にも『賊の本願 は、町奉行を殺すにありて、また富豪を怨むに専なり』とある。彼がそ の暴挙の檄文中に姦商を誅戮してその金米を貧民に分与すべきことを記 したのは、畢竟これによつて自己の憤怒を医する一手段とも認むべきも のであつて、必ずしも今日の社会社義的思想の上から解釈すべき限りで ない。また皇室に言及したのも、暴挙の体面を修飾するがためで、前記 の如き烏合の小勢で勤王の魁が出来る訳のものでない。神武帝の御代の 昔に復して、『生前の地獄を救ひ、死後の極楽を眼前に見せ遣はす』と いふが如きは、実に誇張に過ぎた言であり、ことに『今迄地頭村方にあ る年貢等にかゝはる諸記録帳面類は、すべて引破り焼き捨て申すべく候』 といふに至つては実に乱暴極まる言であつて、益々彼の暴挙が当時大阪 の富豪吏僚に対する不平鬱憤の勃発にあることが推知し得られる。  要するに。彼は済生救民の名の下に、日頃の鬱憤を晴らすのが、挙兵 の目的であつた。幕府を顛覆して王政に復古せしめるが如き深意に出た ことでないのは、彼の暴挙の準備が甚だ粗雑で、忽ち計画に齟齬を来し、 徒らに無意味の暴動となつたのを見ても明かである。つまる処、彼は天 に代つて姦吏奸商を誅し、平素の憤懣を散ぜんがために爆発したばかり で、その後の措置に就いては『運次第に如何様とも成り申すべく』とい ふが如き、至つて呑気な考を持つてゐたのである。




膺懲
(ようちょう)
うちこらす
こと

式微
(しきび)
はなはだしく
衰えること

揣摩
(しま)
当て推量

文は
文か

「大塩檄文蟷螂が斧を
もって龍車
に向かう
蟷螂の斧、
身のほどをわ
きまえないこ
とのたとえ


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