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大塩中斎の言行を観るに、殆ど上記の事項に適合してゐる。彼は陽明
学者であり、且つ詩文の才に長じてゐながら、数に関する観念に乏しく、
自身の父母の命日を間違へたり、甚だしきはその職を辞した年月をも取
違へたりするやうな迂闊極まることをしてゐる。そして自ら負ふ所甚だ
高く、天下の学者にして乃公に及ぶもの一人もなしといはん許りに傲り、
その上官をも蔑視して、内心屁とも思はず、非常な疳癪持で、些細なこ
とにも激怒し、法廷で罪人を乱打し、家塾に於て門人を鞭打したりする
ことは度々であつた。そして門人に対しては非常に品行の点をやかまし
く戒め、若し飲酒登楼でもする者があつたならば、直ちに鞭打の厳罰に
処した程なるにも拘はらず、自身は賤しい娼家の娘を妾にして之と同棲
し、甚だしきは養子の妻に貰つた少女を姦した。(但しこれは風評なれ
ども、火のなき所には煙は上らず)此の如く閨門が治まらないのに、陽
明学者然たる偉さうな顔をして知行の合一を説き、また常に世を罵つて
『口癖のやうに御政道向き、其他御役人等』を種々嘲り批判した。これ
は畢竟官に厚遇せられずして、自己の慾望を充たすことが出来なかつた
例の不平より起つたことである。またその暴挙に就いても、彼は救民を
標榜して立つたけれども、その実は、自己の仇視する富豪官吏を倒して
不平鬱憤を晴らすが目的であつた。彼が事を挙げる前、蔵書を売り払つ
て得た金を悉く窮民に分与したのは、いかにも慈善家らしく見えるが、
しかし、之を分与する際若し之を感謝する心があるならば、天満に火の
手の揚つた時、早速駆けつけよといひ聞かせたのを見ると、真に慈善心
から起つたのではなく、暴挙のために人数を呼び集める準備的手段に出
たことが推知し得られる。
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乃公
(だいこう)
尊大に自分を
さしていう語
『塩逆述』
巻之五
その8
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