二月廿四日、十九日の騒乱の後、六日目の深更、大阪油掛町手拭地仕入
商の美吉屋五郎兵衛方の門先に、僧形の二人の影が立つた。
忍びやかに叩く裏戸の音に、主人は起き出でた。僧形の二人は大塩父子
であつた。ためらふ主人を押し退ける様にして、案内知つた奥の間に消え
た。厳しいお尋ね者を庇ふ程の義気は、五郎兵衛にはなかつたのだが、決
死の大塩の威嚇も恐ろしいので、奥の裏手納戸の小間へ隠して、仕切の襖
を固く締めた。大塩の一ケ月余の籠居生活は、此日から始まつたのである。
五郎兵衛は、大塩の容易に立ち退く気はいの無いのに当惑して、奥座敷
の西手裏つゞきにある明屋同然の離れ座敷へ二人を移した。
食事は自炊にして、家内の飯米を量る時、序に、手元にある紙袋に、白
米を詰め入れ、塩、香の物等を添えて持ち運んだ。そして、食ひ尽した時
は切戸を叩くことに約束して、露顕を防いだのである。
離れに移つた大塩は、座敷廻りの戸障子を外し、穴を明けて、それへ、
蒲団の綿を引出したものを詰めた。いざといふ時の焼草にするつもりであ
らう。自分の坐側に積み重ねて置いた。
五郎兵衛の周到の秘密も、洩れる時が来た。
三月の出代り時に暇を取つた女中の怪しげな話から足がつき始めた。城
代土井大炊頭は立入与力の内山彦次郎に逮捕令を下した。
廿七日の朝四時に、美吉屋は包囲されて居た。
捕方の先に立たされた、五郎兵衛の女房は、モシ/\と声をかけた。す
ると小路次を細目に引明けた平八郎は、一寸顔を見せたが、捕手と気づく
や、ハタと戸を締め切つた。抜身の脇差のみが冷たくその隙間から光つて
見えた。大塩平八郎ともあるものが、此期に及んで卑怯なり、といふ捕手
の声を、
「唯今まかり出づ」
と、受けたまゝ出て来る様子もない。
焦立つた一人が、小路次を潜つて、半棒振り上げ、正面の戸を叩くと等
しく、其の隙間から濛々たる煙硝の煙が吹き出した。
扨は火を掛けたぞと、一同戸障子を破つて闖入すると、平八郎らしきも
のが、割腹の姿勢を崩して、矢庭に脇差取り直し、二太刀三太刀、我が咽
喉に突き立てたかと見る間に、其の脇差を捕手に投げつけた。
火薬の火は慌しく燃え広つて行つた。寄手は、辛うじて息づまる黒煙か
ら逃げ出した。奉行の出馬、消防組の出勤、火はやがて収つた。
焼跡の材木を取り除けると、平八郎は俯伏せになつて、歯をむいたまゝ
の死骸となつて現れた傍には、格之助が自殺とも見えぬ突疵を受けて死ん
で居た。平八郎によつて、刺されたものであらう。
死骸は、向側の医師、三宅某の所から徴発した二挺の駕籠に載せて高原
溜へ送られた。
刑の申し渡しは、大塩以下十六名は、塩漬の死骸三郷引廻しの上磔、但
し中一名はも死体腐乱につき、墳墓破壊、美吉屋五郎兵衛以下十名は、引
廻しの上獄門、三名死罪、其他遠島追放少々あつた。獄門の中には、大工
作兵衛、猟師金助、無宿新兵衛の名迄、交つて居ながら、総勢が、三十人
余りのところを見ると、此の挙の不用意がうかがはれる。
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