Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.6.30

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「大塩の乱関係論文集」目次


『綜合明治維新史 第1巻』(抄)

その12

田中惣五郎(1894〜1961)

千倉書房 1942

◇禁転載◇

  武力の頽廃(2)管理人註
   

 この際動いたのは大阪城代の勢をはじめ、尼崎の一番手は家老用人目付 より足軽仲間に至る迄、三百三十人、二番手も略同様、別に大砲隊があつ た。岩和田の一番手は、物頭大目付以下二百余人、二番手は四百余人、郡 山の一番手、二番手、三番手合計七百余人、其他淀藩、高槻藩等々。殊に 笑止なのは、京都所司台松平伊豆守が、大塩の残党丹波に隠るゝと聞いて、 亀岡、淀、郡山の三藩京都町奉行配下の兵に出兵を命じたことである。し かも一人の大塩残党を捕縛しえず、大塩が大阪市内に隠れて居るのを発見 するのに、一ケ月余を費して居り、二人を捕へようとした時はすでに自害 した後であつた。  この点では、敢て乱を為した剛勇大塩の行為にもあきたらぬものがある。 陣を解く方法も余りに簡単であり、其後の遁走の経過に推し、隠れ家の生 活に徴して、かくの如き大事を挙げた人の行動としては、受取れぬところ 無しとしない。天保時代の武士精神の廃頽が、この義人官僚をも蠶触して 居たものとより受取れ得ないのである。

大塩事件勃発
当時の「諸国要
塞ノ警備」状況和田
は
和田
が正しい
 


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