Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.6.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


『綜合明治維新史 第1巻』(抄)

その5

田中惣五郎(1894〜1961)

千倉書房 1942

◇禁転載◇

  乱の経緯(1)管理人註
   

 天保七年七月、大阪東町奉行跡部良弼が就任した。彼は老中水野忠邦の 弟で、その性質も相似たるものがあつた。この背景を恃む跡部が、大塩自 らもいふ如き「万端上の気受宜らざるよし」とする退役与力に好感をもつ はずはなく、むしろその盛名に多分の反感をさへ持つたらう。この相互の 反感は、人心不安、米価騰貴をめぐる政策を中にして爆発するのも当然で ある。しかしすでに述べた如く、大塩の思想は、清廉の吏の自らにして持 つ程度を甚しく超えず、従つてこの挙が時世を改革する底の根柢深きもの ではなく、陽明学の知行合一を狭い意味に解して、目前の事態と、これへ の跡部の対策に対する憂憤を、彼の出来得る範囲の力によつて爆発させた ものと見るべきであらう。これを彼の檄文に徴し、これを彼の行動に徴す れば、おのづから明らかとなるのである。天保時代の先覚的な吏としては、 こゝまで来るのが精一杯だとも言へる。檄文は絹袋に入れられ、袋の表面 には、「天より被下候、村々小前のものに至迄へ」と記して配布され、そ の内容は、   四海こんきういたし候はゞ、天禄ながくたゝん、小人に国家をおさめ   しめば、災害並至と、昔の聖人深く天下後世、人の君人の臣たる者を、   御誡被置候ゆへ、東照神君にも、鰥寡孤独にたいして、尤もあはれみ   を加ふべくは、是仁政の基と被仰置候。然るに茲二百四五十年、太平   の間に、追々上たる人驕奢とて、おごりを極、大切之政事に携候諸役   人ども、賄賂を公に授受とて贈貰いたし、奥向女中之因縁を以、道徳   仁義をもなき拙き身分にて、立身重き役に経上り、一人一家を肥し候   工夫而已智術を運し、其領分知行所之民百姓共へ、過分之用金申付、   是迄年貢諸役の甚しきに苦む上は、右之通無体之儀を申渡、追て入用   かさみ候ゆへ、四海の困窮と相成候付、人々上を怨ざるものなき様に   成行候得共、江戸表より諸国一同、右之風儀に落入、天子は足利氏已   来、別に御隠居同様、賞罰の柄を御失ひに付、下民之怨、何方へ告愬   とて、つげ訴ふる者なき様乱候付、人々之怨気天に通じ、年々地震、   火災、山も崩、水も溢るゝより外、色々様々の天災流行、終に五穀飢   饉に相成候。   是皆天より深く御誡之有かたき御告に候へども、一向上たる人々心も   付ず、猶小人奸者之輩大切之政を執行、只下を悩し、金米を取たてる   手段計に打懸り、実以小前百姓共のなんぎを、吾等如きもの、草の陰   より常に察し悲候得共、湯王武王の勢威なく、孔子孟子の道徳もなけ   れば、徒に蟄居いたし候処、此節米価愈高直に相成、大阪之奉行并諸   役人ども、万物一体の仁を忘れ、得手勝手の政道をいたし、江戸へ廻   米をいたし、   天子御在所之京都へは廻米之世話も不致而已ならず、五升一斗位の米   を買に下り候もの共を召捕などいたし、実に昔葛伯といふ大名、其農   人の弁当を持運候小児を殺候も同様、言語同断、何れの土地にても、   人民は徳川家御支配之ものに相違なき所、如此隔を付候は、全奉行等   之不仁にて、其上勝手我儘之触書等を度々差出し、大阪市中遊民計を   大切に心得候は、前にも申通、道徳仁義を不存、拙き身故にて、甚以   厚ケ間敷不届之至、且三都之内、大阪之金持共、年来諸大名へかし付   候利徳之金銀並扶持米等を莫大に掠取、未曾有之有福に暮し、町人之   身を以、大家之家老用人格等に取用、又は自己之田畑新田等を夥しく   所持、何に不足なく暮し、此節の天災天罰を見ながら、畏も不致、餓   死之貧人乞食をも敢而不救、其身は膏梁之味とて、結構之物を食ひ妾   宅等へ入込み、或は揚屋茶屋へ大名之家来を誘引したり、高価の酒を、   湯水を呑も同様にいたし、此難渋の時節に絹服をまとひ、かわらもの   を、妓女と共に迎へ、平生同様に遊楽に耽候は、何等之事哉、紂王長   夜の酒盛も同事、其所之諸役人手に握居候政を以、右之もの共を取〆、   下民を救候義も難出来、日々堂島相場計をいじり事いたし、実に禄盗   に而、決而天道聖人之御心に難叶、御赦しなき事に候。  大塩の批判の焦点となつて居るものは、大阪の豪商と役人であり、それ が背景をなす都市と幕閣の僚吏である。天子の文字はあるも、これには大 して触れて居ず、わづかに賞罸の柄を失ひ給へる事実と、京都へ米の入ら ぬ点について、その本心らしいものが窺へるが、一面、「何れの土地にて も、人民は徳川御支配」といひ東照神君の言を引用するにあたり、大義の 点においては、当時の学者とひとしく、故意にぼかした点もあらうが、事 実曖昧なものであつたとも考へられる。




























大塩檄文







鰥寡
(かんか)
妻を失った
男と、夫を
失った女





















































「大之家老」
は
「大之家老」
が正しい


『綜合明治維新史 第1巻』(抄)目次/その4/その6

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