此書付村々ヘ一々しらせ度候へ共、数多之事に付、最寄之人家多候大
村之神殿へ、張付置候間、大坂より廻し有之番人どもにしられざる様
に心懸、早々村々へ相触可申候、万一番人ども眼付、大阪四ケ所の奸
人共へ注進いたし候様子に候はゞ、遠慮なく面々申合、番人を不残打
殺可申候。若大騒動起り候を承ながら、疑惑いたし、駈参不申、又は
遅参及候はゞ、金持之米金は、皆火中之灰に相成、天下之宝を取失ひ
申べく候間、跡にて必我等を怨み、宝を捨る無道者と蔭言を不致様可
致候、其為一同触しらせ候。
尤是迄地頭村方にある年貢等にかゝはり候諸記録帳面類は、却而引破
焼捨可申候。是往々深き慮ある事にて、人民を困窮為致不申積に候。
乍去此度の一挙、当時平将門、明智光秀、漢土之劉裕、朱忠之謀反
類し候と申者も、是非有之道理に候得共、我等一同心中に、天下国家
を簒盗いたし候慾念より起し候事には更に無之、日月星辰之神鑑にあ
る事にて、詰る所は、湯、武、漢高祖、明太祖、民を弔、君を誅し、
天罰を執行候誠心而已にて、若し疑しく覚候はゞ、我等之所業終候処
を、爾等眼を開て看。
但し此書付、小前之者へは、道場坊主、或医者等より篤と読聞せ可申、
若庄屋年寄、眼前之禍を畏、一己隠し候はゞ、追て急度其罪可行候。
奉天命致天誅候。
天保八丁酉年 月 日 某
摂河泉播村々
庄屋年寄百姓並小前百姓共へ
この檄に応じて大阪に集つた貧農のその後について果して大塩は考へた
であらうか。彼等を一揆や打毀の罪から救ふものは、大塩政府の樹立以外
にないのであり、そこまで考へずにこの挙を行ふことは、徒らに乱を好み、
農民を罪に趨らせる結果となり了るのみである。大阪行を試みた村民の名
前などは、簡単に調査出来るからである。一斗の米を頒たれて、一死を与
へられる惧れがないであらうか。それも農民一揆なら、何らかの形で若干
の恵沢が行はれる。大阪へ米拾ひに来たのでは、それだけの問題である。
とはいへ大塩の忍びざる純情までを過小評価してはならぬことは勿論であ
る。
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